サハラ
アフリカ北部の広大な砂漠が広がる地帯。その北側はマグリブ地方に接し、南側は熱帯雨林地帯に接する。
アフリカの大西洋岸から紅海沿岸までひろがる世界最大のサハラ砂漠が広がっている地帯であるが、更新世の地球が現在より温暖であった時代には広大な森林地帯で河川や湖も存在していたらしく、サハラ砂漠の中央にあるタッシリ=ナジェールの遺跡には、水生動物の姿などを描いた岩絵が残されている。地質年代の完新世になって徐々に砂漠化が進んだ。現在はその森林との教会地方であるサヘル地方が、牧畜民の過剰放牧によって砂漠化が進んでいる。
サハラ交易
7~8世紀、マグリブ地方に広がったイスラーム教は、サハラ砂漠の遊牧民にも勢力を拡大していった。特にイスラーム商人(ムスリム商人)は、サハラの岩塩から取れる塩をアフリカ内陸のガーナ王国の金との交易を目指してサハラを縦断した。このサハラ交易は長く、アフリカ内陸国家の繁栄を支えていた。フランス帝国主義の進出
フランスはアルジェリア占領以来、アルジェリアやチュニジア、モロッコのアフリカ北岸を獲得し、さらにサハラに南下して、19世紀末までに広大な植民地を獲得した。またエジプトを支配したイギリスは、勢力をスーダンに拡大し植民地化した。フランスは、サハラ砂漠を横断して、東アフリカのジブチ・マダガスカルとを結ぶルートを開拓しようというアフリカ横断政策を進め、イギリスのアフリカ縦断政策と衝突し1898年にスーダンでファショダ事件が起きた。現在は、フランス領であった地域から、モーリタニア、マリ、ニジェール、チャドが、イギリス領であったスーダンなどが独立している。