パン=アメリカ会議
1889年に第1回が開催された、アメリカ合衆国主導による南北アメリカ大陸諸国の国際会議。
1889年、第1回はアメリカ合衆国のワシントンで開催され、南北アメリカ大陸の18カ国の代表が集まり、通商協定・仲裁裁判などで協定を結んだ。以後、数年おきに開催。その理念となったのは、アメリカ合衆国の指導のもとに、南北アメリカ諸国が政治的・経済的に緊密な関係を結ぼうというパン=アメリカ主義(汎アメリカ主義)である。パン=アメリカ主義はすでに早く、シモン=ボリバルが提唱し、1826年にラテンアメリカ諸国によるパナマ会議が開催されたが、そのときには実現にいたらず、80年代以降はアメリカ合衆国の指導的立場が明確となるなかで、実現した。
アメリカ主導の中南米機構
アメリカ合衆国にとっては、自国の工業化が進展したことに伴い、原料・食糧の供給地として中南米地域を重視するようになっていた。南米大陸に対してはイギリスが強い経済的関係を有していたので、アメリカは特にカリブ海域を、自国の「裏庭」と位置づけるカリブ海政策を展開するようになる。それはマッキンリー・セオドア=ローズヴェルト大統領のもとで進められ、アメリカ=スペイン戦争によるキューバの保護国化、パナマ運河獲得などで実現していった。その間、パン=アメリカ会議はアメリカの中南米外交政策にとって重要な舞台となっていた。しかし、棍棒外交とも言われた強引な手法は次第に通用しなくなり、ウィルソン大統領の宣教師外交、フランクリン=ローズヴェルト大統領の善隣外交へと転換した。第二次世界大戦後の1948年4月、コロンビアのボゴタで開催された第9回パン=アメリカ会議で米州機構に衣替えすることとなる。