世界史用語解説 授業と学習のヒントappendix list

世界史用語解説

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衛正斥邪

18世紀以降の朝鮮において、儒学(朱子学)を正統として守り、西欧や日本の侵略を排除しようとする思想。大院君の鎖国政策、さらに日本の支配に抵抗した義兵闘争の思想的根拠となった。

 えいせいせきじゃ。衛正斥邪の衛は防衛の衛、正とは儒教(その中でも朱子学の思想)のこと、斥は排除、邪とはキリスト教を中心とした西洋思想、および後には欧化した日本をさす。朝鮮王朝では元々儒学、特に朱子学が政治の理念としても、実生活における規範としても重視され、深く定着していた。さらに中国で異民族王朝である清が成立すると政治的には宗主国として仰ぎ、従属的な立場になったが、思想的には朝鮮の儒教が正統性を継承しているという小中華思想が生まれていた。そのような朝鮮に、18世紀以降、西欧諸国の外圧が強くなると、キリスト教や新しい技術を受け入れようとする開化思想も起こってきた。それに対して、朱子学者を中心とする儒学者(儒生)は危機感を抱き、朱子学の道徳を守り、欧化や開化を否定して排除するという「衛正斥邪」を強く主張するようになった。

西欧排撃から日本排撃へ

 1863年から朝鮮王朝で実権を握っていた大院君は衛正斥邪思想に影響され、厳しい鎖国政策を採り、外国船の来航を禁止して攘夷を実行したので、イギリス、フランスなどとの間でたびたび紛争が起こった。一足先に開国し、欧化政策に転じた日本が、江華島事件などを起こして圧力をかけてくると、衛正斥邪の鉾先は、欧化した日本に向けられることになった。
保護国化に対する抵抗  1873年に大院君が引退すると、朝鮮政府内部の対立もあって、日本の朝鮮への勢力拡張が進み、日露戦争後の第2次日韓協約で保護国化が決定的となり、第3次日韓協約で軍隊の解散が命令された。このような日本への従属が強まったことに対し、激しい義兵闘争が朝鮮各地で起こった。この闘争の理念的正当性は、初期の義兵の先頭に立っていた衛正斥邪思想を掲げる儒生たちであった。<姜在彦『朝鮮の攘夷と開化』1977 平凡社選書 p.211-218>

出題 2021年共通テスト世界史

 韓国に残されている、1866年に作られ、1871年に建てられた石碑に「洋夷が侵犯してくる時に、戦わないのは和であり、和を主張するのは則ち売国である」という意味の漢文が彫られている。これについて次の文の空欄を埋めよ。<一部改変>
この石碑を建てた( ア )という人物は、幼かった国王に代わり、当時の実権を握っていました。石碑の3行目には「万年にわたって子孫を戒めるものである」と小さく刻まれている。この内容から( ア )が、欧米列強に対して徹底的に抗戦することを子孫代々にわたって伝える目的で、石碑を建てたことがわかる。ちなみに同じ時期には、朝鮮の知識人たちの間で「衛正斥邪」という思想が広がった。衛(まも)るべき「正」とは( イ )のことであり、斥(しりぞ)けるべき「邪」とは( ウ )とそれを信仰する欧米列強を指している。この思想は朝鮮を保護国化した日本にも向けられ、20世紀初めの( エ )闘争の理念ともなった。

答え