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シュリーフェン計画

第一次世界大戦前にドイツ帝国陸軍が立てた戦略。東部戦線より先に西部戦線で勝利することをめざした。

 ドイツ帝国陸軍の参謀総長シュリーフェンが、1905年に建てた、ドイツの基本的戦争戦略。1914年8月にこの計画にもとづいてドイツ帝国は参戦に踏切り、ロシア・フランスに宣戦して第一次世界大戦が開始された。
 ドイツにとってロシアとフランスという東西の強国と戦うことはきわめて不利な戦争とならざるを得ないので、ビスマルク外交では、ロシアとフランスが手を結ぶことを極力避けていたが、ヴィルヘルム2世の世界政策では、その両国と対立せざるを得なくなった。そして最も恐れたロシアとフランスの提携は露仏同盟という形で着々と強化されていた。
 そのような情勢の中で、どのようにしたらこの両国を同時に敵にして、両面作戦をとることができるか、またそのときは勝算があるかどうか、について考察し、次のようなプランによってドイツの勝利が可能であると考えたのがシュリーフェンであった。彼は古代のポエニ戦争のカンネーの戦いにおけるハンニバルの勝利を参考にしたという。

ドイツ軍の基本戦略

 その結論は、
  1. 東部戦線はロシアの動員、輸送能力は低いと判断し、10個師団の少数兵力(全兵力の8分の1)で、当面押さえておく。
  2. 他の全軍の8分の7を西部戦線のフランスに向けて投入する。
  3. 西部戦線を二手に分け、右翼を主力(59個師団)とし、ベルギーから侵入させて大きく迂回し、パリの西側にでる。左翼の他の9師団がフランス軍と正面からあたり、挟撃する。
  4. 約6週間でフランスを制圧し、その後に主力をロシアに向ける。
という壮大なものであった。
 しかしシュリーフェンは大戦勃発前に没しており、実際の開始時の司令官モルトケ(普仏戦争の時の大モルトケの甥で、小モルトケといわれた)は、東部戦線に不安を感じ、この計画を変更し、西部戦線の主力を削減して東部戦線に加えた。バランスをよくすることはできたが、パリの西側にでるという戦略上の最大のポイントに、最大の兵力をかけることができなくなり、実際の戦争ではシュリーフェン計画は計画倒れに終わった。また東部戦線でのロシア軍の進撃も予想以上に早く、誤算があった。
 さらにシュリーフェンの西部戦線を二手に分け主力(右翼)をベルギーから進入させて大きく迂回しパリに向かう、という作戦も実際には変更され、右翼・左翼のバランスを取る配置とされた上に、右翼の主力の迂回路も補給の困難があったことから変更された。
 もう一つの誤算は、主力がフランスに侵攻するには中立国ベルギーを通過しなければならなかったことであり、そのことが当初静観していたイギリスの大義名分を与えたことであった。結果として、この二方面作戦は無理があったというべきであり、ドイツは敗北した。

Episode 袖で海峡をかすって通れ

 ドイツも中立国を侵犯することが国際的に非難されることを予測し、すでに早く1904年にヴィルヘルム2世がレオポルド2世をベルリンに招き、フランス領フランドルなどをベルギーに与える条件で同盟を結ぶことを打診した。しかしその会談はレオポルド2世が申し出を断ったので実現しなかった。しかしシュリーフェンはベルギー侵攻は不可欠と考え、その際はイギリスが出てくることも覚悟した。
(引用)シュリーフェンは、仏軍を完全に包囲するためには、右翼をはるか西方のリールまで持って行きたいと考えた。「フランスに進軍したら、右翼最右端は、袖で(英仏)海峡をかすって通れ」。そのうえ彼は、英国も敵に回ることを予期して、仏軍もろとも英国派遣軍も掻き込めるような広大な包囲陣をしきたかった。・・・英国地上部隊を早急に撃破し、英国の参戦によって引き起こされる経済的変動が事態に影響を及ぼさないうちに決着をつけてしまおうと決意した。そのためには、すべてをあげて右翼の強化に努めなければならない。・・・1913年80歳の時、「かならず戦争になる。絶対に右翼を強くするんだ……」、こうつぶやきながら息をひきとった。<バーバラ=タックマン/山室まりや訳『八月の砲声』1962 ちくま学芸文庫版 2004年刊 上 p.74-75>
 後任の参謀総長モルトケ(普仏戦争の時のモルトケの甥)は、開戦が決まるとヴィルヘルム2世が東部戦線重視策に傾き、兵力の東部への転用を主張したのに対して、軍隊がいつも使う、すでにシュリーフェン計画に沿って〝動き始めてしまっている〟という理由で拒否した。しかし、モルトケはシュリーフェンや叔父のモルトケの様な大胆さがなく、バランスを重視して兵力を左翼にも回し、全力を右翼に投じよ、という前任者の遺言を守らなかった。そのため結局、マルヌの戦いで前進を阻止され、後退を余儀なくされたのだった。
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書籍案内

バーバラ・タックマン
『八月の砲声』
1962 山室まりや訳
ちくま学芸文庫 2004