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サイクス・ピコ協定

第一次世界大戦中の1916年5月、イギリス・ロシア・フランス間で結ばれたの西アジアの旧オスマン帝国領分割に関する秘密協定。ロシアが革命で脱落し英仏二国間の協定となった。イギリスがユダヤ人に向けて発したバルフォア宣言、アラブ人と約束したフセイン・マクマホン協定と矛盾する秘密協定であった。大戦後、セーヴル条約、さらにそれを修正したローザンヌ条約が締結されたためこの協定通りにはならなかったが、帝国主義諸国によって西アジアの民族分布の実態と合わない国境策定は現在の中東民族紛争の原因となったとされている。

 第一次世界大戦が始まり、中にイギリスフランスロシアの三国で結ばれたオスマン帝国領の分割をとりきめた密約。1916年5月16日、イギリス・フランス・ロシアの三国首脳は秘かにペテログラードに集まり、大戦後のオスマン帝国のアラブ人地域について、
      イギリスはイラク(バグダードを含む)とシリア南部(ハイファとアッカの二港)
      フランスはシリア北部とキリキア(小アジア東南部)
      ロシアはカフカースに接する小アジア東部
というように分割して領有し、パレスチナ(イェルサレム周辺地域)は国際管理地域とするという秘密協定を作成した。

協定の成立

 「協定」agreement は、「合意」と同じ意味の外交用語であり、「条約」treaty が両国の議会の承認(批准)が必要なのにたいして、両国の首相や外相など有力な立場にあるものによってなされる国家間の約束である。近代・現代の国際関係では無数に存在し、「条約」と同等な効力を持っているが、またしばしば政治情勢の変化で双方あるいは片方から反故にされることも多い。
 サイクス・ピコ協定の当事者、イギリスのマーク=サイクスは政治家であると共に旅行家・中東専門家として知られた人物、フランスのジョルジュ=ピコは法律家で外交官であった。この協定は二人の協議で合意がなされたが、交渉の過程でロシアの同意を取りつけることが必要と考えられ、最終的にはロシアの外相サゾノフも合意に加わったので、「サイクス・ピコ・サゾノフ合意」とも呼ばれることがある。
 この合意は、すでに三国協商を成立させていた、イギリス・フランス・ロシアの三国が、敵の同盟側に加担したオスマン帝国の領土の中東地域を、大戦後の戦後処理の一環として分割統治しようという協定であったが、国際的には公表されない秘密協定とされた。

ロシアの脱落と秘密協定の暴露

 ところが、翌1917年のロシア二月革命でロシア帝国は崩壊、十月革命で権力をにぎったボリシェヴィキ政権は大戦からの離脱、つまり三国協商からの離脱を決め、されに帝政の悪行を暴露する広報戦の一環として、サイクス・ピコ協定を含む秘密外交の書類を公表してしまう。それによって、この協定は英仏二国間の協定となり、その意義も、世界大戦後に獲得する領土を事前に調停して分割支配しようという帝国主義国家による世界分割協定であると捉えられるようになり、植民地解放を目指す民族主義運動にとって戦いの大義を与える証拠文書となってしまった。

イギリスの二枚舌外交

 この協定は、前年のイギリスがアラブ人に独立を認めたフセイン・マクマホン協定、さらに翌年発表したユダヤ人にパレスチナでの国家建設を認めたバルフォア宣言とも矛盾し、イギリスの「二枚舌外交」と言われるもので、現在も続くパレスチナ問題の原因となっているものである。
 ロシア革命後のソヴィエト政府は秘密条約を世界に暴露し、すべて破棄したので、この協定は実現には至らなかった。しかしイギリスとフランスは大戦後の1920年、イタリアでサン=レモ会議を開催して旧オスマン帝国を分割して委任統治とすることを協議し、オスマン帝国との講和条約であるセーヴル条約に盛り込んだ。

「イスラム国」の登場

 2011年に始まった「アラブの春」が波及したシリアでは、アサド大統領と反アサド派の激しい内戦が続いたが、2014年に突如、シリアとイラクの国境付近で「イスラム国」を名のる勢力が台頭し、彼らはカリフの復権によってイスラーム国家を再現すると主張、現在の国境はサイクス・ピコ協定に始まる西欧帝国主義者が勝手に決めたものであるから認められないとして、国境施設を破壊するなどの行動で世界の注目を引いた。そのため日本ではそれまで世界史受験生にしか知られていなかった「サイクス・ピコ協定」の存在がにわかにマスコミなどでも取り上げられるようになった。その論調は、「サイクス・ピコ協定こそ中東問題の元凶」と決めつけるものだった。そのような評価は高校の世界史教科書名でもすでに言われていた。それに対して現代のイスラーム世界分析の専門家、池内恵氏は次のような指摘をしている。
(引用)「サイクス・ピコ協定」は、掘り下げていくと中東問題を理解するための格好の手がかりになり得るものなのだが、むしろ現状では、欧米を批判して適度に溜飲を下げつつ、複雑な中東情勢を理解する面倒な努力を放棄し、厄介な現実から目を背けるための便利なマジックワードになってしまっているのではないか。<池内恵『サイクス・ピコ協定 百年の呪縛 ―中東大混迷を解く』2016 新潮選書 p.22-23>