トリアノン条約
1920年、第一次世界大戦後に、ハンガリー王国が連合国と結んだ講和条約。ハンガリーは領土の3分の2を失った。
サン=ジェルマン条約でオーストリア=ハンガリー帝国の解体が承認された後、ハンガリーではクン=ベラのハンガリー革命が起こったため、ハンガリーは連合国との講和条約の調印が遅れた。クン=ベラの革命が失敗した後に成立したハンガリー王国が1920年6月、フランス・ヴェルサイユのトリアノン宮殿で連合国と講和条約を調印した。
ハンガリーはオーストリアからの分離独立が改めて認められたが、次のように領土を周辺諸国に割譲した。これによってハンガリーは領土の3分の2を失った。失った領土に残ったハンガリー人(マジャール人)は、それぞれの国で少数民族とされることとなった。
ハンガリーはオーストリアからの分離独立が改めて認められたが、次のように領土を周辺諸国に割譲した。これによってハンガリーは領土の3分の2を失った。失った領土に残ったハンガリー人(マジャール人)は、それぞれの国で少数民族とされることとなった。
- スロヴァキア → チェコスロヴァキア共和国へ
- 旧オーストリア領のスロヴェニア・クロアティア(沿岸部のダルマティアがハンガリー領)・共同管理下にあったボスニア → セルブ=クロアート=スロヴェーン王国(1929年からユーゴスラヴィアに改称)
- トランシルヴァニア → ルーマニア王国へ編入。