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サン=ジェルマン条約

1919年、第一次世界大戦後のオーストリアと連合国との講和条約。オーストリアは大幅に領土を縮小した。

 第一次世界大戦後の1919年9月に成立した、連合国とオーストリアとの講和条約。オーストリア=ハンガリー帝国は1918年10月をもって解体しており、その後ドイツ=オーストリア共和国と名乗ったが、この条約でドイツとの併合は禁止されたので、オーストリア共和国となった。
  1. オーストリアはハンガリーチェコスロヴァキアポーランドセルブ=クロアート=スロヴェーン(後のユーゴスラヴィア)の独立の承認する。
  2. トリエステ南チロル(トレンティノ)などをイタリアに割譲する。これによってイタリア側の「未回収のイタリア」回収は一応達成された。
  3. ドイツとの併合の禁止。その他、軍隊の制限、賠償金などが規定された。

条約の意義と問題点

 これによりオーストリア=ハンガリー帝国旧領土の4分の3が失われ、多民族国家は解消されてオーストリア共和国は基本的にはドイツ人の国家となった。しかし、旧オーストリア=ハンガリー帝国帝国内のチェコなどにも多数のドイツ人住民がそのまま残ることとなり、後に大きな問題となる。
 またイタリアはトリエステ、南チロルだけでなく、アドリア海対岸のフィウメやダルマチア海岸の割譲も要求していたが、それらがオーストリアから独立したセルブ=クロアート=スロヴェーン王国とされたことに反発し問題が残った。
 なお、オーストリアから独立したハンガリーではハンガリー革命の失敗などの混乱が続いたために講和条約が遅れ、1920年にトリアノン条約が締結される。

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