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(1)オーストリア=ハンガリー帝国

普墺戦争に敗れたオーストリアが、1867年、ハンガリーと同君連合となって形成された。

 世界史上、オーストリア帝国と現在のオーストリア共和国はまったく領土の広さが違うので注意を要する。かつてのオーストリアはいわゆるハプスブルク家が支配するハプスブルク帝国のことであるが、その領土は中欧から東欧にかけて広大であり、支配者はドイツ人であるが、多くの異民族―特にスラブ系やイタリア人―を含んでいた。しかし、普墺戦争プロイセン王国に敗れ、その弱体化がはっきりしてきた。その最大の弱点は内部にハンガリーを始めとする民族運動を抱えているということであった。そこで翌1867年、アウスグライヒ(妥協)によって、ハンガリーを別個の国家とし、一人のハプスブルク家の皇帝をいただくという二重国家とした。ハンガリー人は形式的には独立したが、オーストリアと同君国とされたが、北イタリア、スロベニア、クロアチア、チェコ、スロヴァキアなどは以前として自治も認められず従属せられていた。このようにオーストリア=ハンガリー帝国は、中世からのハプスブルク家が支配する二重国家で多民族国家であるという現在では考えられない国家の形態であった。この「オーストリア=ハンガリー帝国」の二重帝国という国家形態を崩壊させたのが第一次世界大戦であった。

アウスグライヒによる二重帝国の成立

 中欧に大きな勢力を持っていたハプスブルク家のオーストリアは、1866年の普墺戦争(プロイセン=オーストリア戦争)での敗北し、帝国内の諸民族の独立運動が強まったため、翌67年、ハンガリーの独立運動を懐柔しようとしてその形式的な独立を認めた(アウスグライヒ)。その体制は、ハンガリー王国の王位はオーストリア皇帝フランツ=ヨーゼフ1世が兼ね、その下で二国がそれぞれ別な政府と国会を持つというもので、二重帝国といわれるものであった。この国家をオーストリア=ハンガリー帝国という。したがってハンガリー王国は形式的には独立したが、外交・軍事・財政ではハプスブルク家のオーストリア皇帝に実権をにぎられていた。実質的には「ハプスブルク帝国」であった。その領域には、現在のチェコとスロヴァキア、スロベニア、クロアチア、を含み、南チロル地方とトリエステも入っていた。

多民族国家としての弱点

 オーストリア=ハンガリー帝国のハプスブルク家支配の最大の問題は、この国が巨大ではあるが多民族国家であるという点であった。オーストリアはドイツ人(ゲルマン民族)であるが、ハンガリーはマジャール人であり、またその領内にチェコ人、クロアチア人など多数のスラヴ系民族を含み、また北イタリアのイタリア系住民もいた。

三国同盟の形成

 1871年のドイツ帝国成立以後は、皇帝フランツ=ヨーゼフ1世は、ビスマルクの対フランスを軸とした外交に協力し三帝同盟(1873年)に加わった。しかし、ロシアがパン=スラヴ主義を掲げてバルカン半島に侵出すると、対抗してパン=ゲルマン主義を唱えてロシア及びスラヴ民族のとの対立を深めた。1877年ロシアが、露土戦争でオスマン帝国を破り、翌年のサンステファノ条約で大ブルガリアを成立させて大きな脅威となると、イギリスと共にその条約の破棄をロシアに迫り、ベルリン会議でビスマルクの調停が成立しベルリン条約ボスニア=ヘルツェゴヴィナの統治権を認められた。1879年にロシアが三帝同盟を離脱、一旦再結成されたものの1887年には三帝同盟が消滅、以後ロシアとは明確な敵対関係に入った。一方79年には独墺同盟を結成、1882年にはイタリアを加えて三国同盟を締結した。

(2)オーストリア=ハンガリー帝国

パン=ゲルマン主義を掲げバルカン半島に侵出しスラブ系諸国と対立し、バルカン問題が深刻化する。

バルカン半島への侵出

 オーストリア=ハンガリー帝国は大国ではあったが海港はアドリア海に面したトリエステしかなかった。しかしその地の住民はイタリア人で、イタリアの回復要求も根強かったため、帝国はその地に代わる海港を求めた。それがバルカン半島南部、エーゲ海に面したサロニカ(英語読み。現地ではテッサロニキ)であり、「サロニカへの行進」と称してバルカン半島への侵出を進める国策を採った。この膨張政策はオスマン帝国の弱体化に乗じたパン=ゲルマン主義の主張のもとで展開され、ロシアやスラヴ系民族のパン=スラヴ主義との対立を激しくして行き、その結果、バルカン問題を深刻化させた。
 1908年にオスマン帝国で青年トルコ革命が起こって混乱すると、それに乗じてボスニア・ヘルツェゴヴィナ併合を強行した。この地域にはセルビア人が多数居住していたので、セルビアの反発が強くなり、バルカン問題は一挙に緊張した。
 1914年6月にサライェヴォ事件が勃発、第一次世界大戦に突入することとなる。 → オーストリア=ハンガリー帝国(3)
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