常任理事国/P5
国際連合・安全保障理事会の常任理事国はアメリカ・イギリス・フランス・ソ連・中国(中華民国)の五大国で発足した。拒否権を持つなど、特別な地位が与えられている。2022年、その常任理事国の一つであるロシアが隣国ウクライナに(いかなる理由であれ)軍事行動を行ったことは安保理そのものの価値が問われる事態である。
国際連合の安全保障理事会の常任理事国は、1945年6月の国際連合憲章では、中華民国、フランス、ソヴィエト社会主義共和国連邦、グレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国(イギリス)及びアメリカ合衆国とされていた。中華民国は、1971年に中華人民共和国に交替し(中華民国=台湾は国連から追放)、ソ連は1991年に崩壊した後、ロシア連邦が継承した。常任理事国は、大国一致の原則に基づいて、拒否権が認められている。
現在の米・英・仏・ロシア・中国を「P5」Permanent members 5 と言う。このいずれもが核兵器所有国であり、核拡散防止条約(NPT)で核保有が認められている。その意味では安保理のP5体制は、5カ国による核独占体制であり、核を5カ国が独占することで世界秩序を維持しようとしている、とも言える。
戦争の過程で断続的に開かれた首脳会議で連合国の戦後処理構想が作られて行き、その中でローズヴェルトは大西洋会談からの戦後の世界秩序の維持を米英ソ中の4カ国で担おうという「四人の警察官」構想を固めて行き、1943年11月のテヘラン会談で合意された。その上で、国際連合の設立とともに、集団安全保障を担う安全保障理事会の中心メンバーとして、米英ソ中の四国ににフランスを加えた五大国を常任理事国とすることで調整され、1944年8月のダンバートン=オークス会議で国連憲章として原案が成立した。国際連合憲章は1945年4~6月のサンフランシスコ会議で50カ国の代表の署名で合意され、10月24日に発効し、実際の発足となった。この五カ国には拒否権という優越した特権が与えらることになったが、それについてはスンナリと進んだわけではなく、ソ連の主張を米英が妥協した結果であった。 → 拒否権の項を参照
「敵国条項」(国連憲章53条、107条および77条)は1995年の総会でその早期削除決議が賛成155、反対〇、棄権3で採択され、2005年9月の国連改革をテーマとした国連総会特別首脳会合でも「削除を決意する」との成果文書がまとめられている。しかし、依然として削除されていない。ドイツも日本と同じ該当国だが、東西統一を果たし、対ソ連・東欧諸国との戦後処理も終わっており、事実上敵国条項は死文化しているとして、その削除は主張していない。しかし日本の場合は、ロシアとの平和条約を締結していない(1956年の日ソ共同宣言は国交を回復したのみ)ことと領土問題を抱えていること、中国とは1978年に日中平和友好条約、韓国とは1965年に日韓基本条約を締結しているがそれぞれ領土問題を抱えており、北朝鮮とはいまだに国交が開かれていないなど、戦後処理が完全に終わっているとは言えない。
そのため、ロシアは現在も日本との関係で、敵国条項を外交カードに使おうという意図を見せている。そのため、国連憲章の改正には総会での三分の二の賛成と、安保理の常任理事国総てを含む加盟国の3分の2以上の批准を必要とするので、困難が予想される。特に敵国条項の削除は安保理改革論議の再燃につながるので、特権を守りたい常任理事国は積極的にならないため、日本の常任理事国入りは当面無理という状況である。<小林義久『国連安保理とウクライナ問題』2022 ちくま新書 p.96-101>
このウクライナ戦争の帰趨がどうなるかまったく予測できないが、常任理事国のロシアが侵略行為に踏み切ったことは、その敗北は常任理事国としての立場を危うくすることであるから安保理改革が実現するかもしれないし、仮に勝利すれば国連及び安保理は崩壊につながりかねないであろうし、もしどこかの仲介で何らかの領土的妥協の上で停戦しても、安保理の存在は今より以上に死に体化するであろう。いずれになっても、この安保理常任理事国であるロシアの今回の行動は安保理しいては国連、そして国際社会に重大な変動をもたらす、世界史的なできごとであるに違いない。<2024/11/1記>
現在の米・英・仏・ロシア・中国を「P5」Permanent members 5 と言う。このいずれもが核兵器所有国であり、核拡散防止条約(NPT)で核保有が認められている。その意味では安保理のP5体制は、5カ国による核独占体制であり、核を5カ国が独占することで世界秩序を維持しようとしている、とも言える。
ローズヴェルトの「四人の警察官」構想
1939年にナチス・ドイツのポーランド侵攻で第二次世界大戦が始まっても、まだ参戦していなかったアメリカ大統領フランクリン=ローズヴェルトは、1941年8月9日にイギリス首相チャーチルと大西洋上会談を行い、合意内容を大西洋憲章として発表した。そのポイントは戦争の意義をファシズムに対する民主主義国家の戦いとして位置づけることと、戦後の世界秩序をになう新たな国際機関を組織し、その主導権は勝者となるべき米英で担おうというものであった。その後、日本が太平洋戦争を開始したことでアメリカの参戦は現実のものとなり、米英とソ連、中国(中華民国)は連合国として結束することとなった。戦争の過程で断続的に開かれた首脳会議で連合国の戦後処理構想が作られて行き、その中でローズヴェルトは大西洋会談からの戦後の世界秩序の維持を米英ソ中の4カ国で担おうという「四人の警察官」構想を固めて行き、1943年11月のテヘラン会談で合意された。その上で、国際連合の設立とともに、集団安全保障を担う安全保障理事会の中心メンバーとして、米英ソ中の四国ににフランスを加えた五大国を常任理事国とすることで調整され、1944年8月のダンバートン=オークス会議で国連憲章として原案が成立した。国際連合憲章は1945年4~6月のサンフランシスコ会議で50カ国の代表の署名で合意され、10月24日に発効し、実際の発足となった。この五カ国には拒否権という優越した特権が与えらることになったが、それについてはスンナリと進んだわけではなく、ソ連の主張を米英が妥協した結果であった。 → 拒否権の項を参照
日本はなぜ常任理事国になれないか
国連安保理の常任理事国(P5)=アメリカ・イギリス・フランス・ロシア・中国が、21世紀の現代において世界の大国といえるかといえば、経済規模から言えば日本とドイツ、人口・国土から言えばインドあるいはインドネシア、ブラジルなど、大国と言われる国々が他にあるのでバランスを欠いていると言わざるを得ない。にもかかわらずなぜ、依然として上記五カ国に限定されているのか。それは、国連の骨組みが第二次世界大戦中の連合国にあること(名称の United Nations もそのまま)、この五大国が核保有国(NPTによって国際法上認められている)であることなど、歴史的経緯を踏まえる必要がある。具体的には国連憲章に定める「敵国条項」がある。 → 国際連合の「日本と国連」の項を参照。「敵国条項」(国連憲章53条、107条および77条)は1995年の総会でその早期削除決議が賛成155、反対〇、棄権3で採択され、2005年9月の国連改革をテーマとした国連総会特別首脳会合でも「削除を決意する」との成果文書がまとめられている。しかし、依然として削除されていない。ドイツも日本と同じ該当国だが、東西統一を果たし、対ソ連・東欧諸国との戦後処理も終わっており、事実上敵国条項は死文化しているとして、その削除は主張していない。しかし日本の場合は、ロシアとの平和条約を締結していない(1956年の日ソ共同宣言は国交を回復したのみ)ことと領土問題を抱えていること、中国とは1978年に日中平和友好条約、韓国とは1965年に日韓基本条約を締結しているがそれぞれ領土問題を抱えており、北朝鮮とはいまだに国交が開かれていないなど、戦後処理が完全に終わっているとは言えない。
そのため、ロシアは現在も日本との関係で、敵国条項を外交カードに使おうという意図を見せている。そのため、国連憲章の改正には総会での三分の二の賛成と、安保理の常任理事国総てを含む加盟国の3分の2以上の批准を必要とするので、困難が予想される。特に敵国条項の削除は安保理改革論議の再燃につながるので、特権を守りたい常任理事国は積極的にならないため、日本の常任理事国入りは当面無理という状況である。<小林義久『国連安保理とウクライナ問題』2022 ちくま新書 p.96-101>
常任理事国の責務
安保理は国連の中枢となる機関で、集団安全保障を実効あるものにするために設けられたものであったが、常任理事国が固定されていること、また拒否権が認められていることなど、重大な問題を含みながら発足した。設立以来、中東問題、インド・パキスタン戦争、アフリカ問題、朝鮮戦争など立て続けに課題が発生し、まがりなりにもそれなりの対応を重ねていった。しかし、五大国自体が当事者となった場合では、アメリカのベトナム戦争、湾岸戦争、ソ連のアフガニスタン侵攻など、安保理はほとんど機能をたっきすることができなかった。国連軍も構想はあったが実現できないままになっている。冷戦終結後は地域的な紛争に対しては現実的な対応として、PKO、PKFを実行してきたが、成果を上げた面もあるが、安保理が積極的、決定的な役割を果たすことはできなかった。常任理事国見直しの好機つぶれる
1989年に冷戦が終結すると、安保理の存在が明らかに重要性を増した。注目されるのは、1991年12月にソ連が崩壊したとき、翌年1月にアメリカンが安保理会合を要請し、ロシアをソ連の後継者として認めさせたことだった。このときソ連の常任理事国としての議席をどうするかを検討する機会は、常任理事国の構成を見直す好機であったが、アメリカが一方的にロシアと決めてしまったために問題は先送りされることになった。冷戦終結とソ連の崩壊は、戦後の安保理改革の絶好の好機であり、集団安全保障を機能させるチャンスであったが、アメリカは従来の体制を崩すことを喜ばなかったものと思われる。<小林義久『前掲書』p.106-107>ロシア・ウクライナ侵攻の衝撃
そのような問題を抱えながら起こった2022年のロシアのウクライナ侵攻は、安保理常任理事国であるロシア自身が他国を侵略する(ロシアの言い分、旧ソ連圏の特殊な事情はあるとしても)という衝撃的なできごとだった。すでにその予兆は2014年のクリミア併合にあったわけだが、それに対して国際社会が毅然として立ち向かわなかったことが、今回のより深刻な事態を招いたと言える。ただ、国境紛争は多々あったとは言え、これだけ大規模な軍事的国境侵犯が、しかも安保理常任理事国P5の一つであるロシアによって行われたことは深刻だ。安保理・常任理事国のあり方が大きく揺らいだ。このウクライナ戦争の帰趨がどうなるかまったく予測できないが、常任理事国のロシアが侵略行為に踏み切ったことは、その敗北は常任理事国としての立場を危うくすることであるから安保理改革が実現するかもしれないし、仮に勝利すれば国連及び安保理は崩壊につながりかねないであろうし、もしどこかの仲介で何らかの領土的妥協の上で停戦しても、安保理の存在は今より以上に死に体化するであろう。いずれになっても、この安保理常任理事国であるロシアの今回の行動は安保理しいては国連、そして国際社会に重大な変動をもたらす、世界史的なできごとであるに違いない。<2024/11/1記>