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イラン=クーデタ

1953年、アメリカCIAが支援したイラン軍部が、石油国有化を進めたモサデグ政権を倒したクーデタ。

 1953年8月19日、パフレヴィー朝のイラン石油国有化を断行したモサデグ政権を倒した軍部クーデタ。これによっていったん実権を失い海外に亡命していたパフレヴィー2世が帰国、専制政治を復活させ、イランの石油国有化を中心とする民族主義政策は挫折した。このクーデタはイギリスの石油資本(アングロ=イラニアン石油会社)とアメリカのCIA(中央情報局)が仕組んだものとされている。これ以後は石油市場を安定させるため七大石油会社の合弁会社がパフレヴィー2世と協定を結びイランの石油生産を支配することとなった。

イラン=クーデタの黒幕CIA

 アメリカはモサデグ政権まではイランの石油資源に対して権益を有していなかった。1953年のモサデグ政権を転覆させるクーデタは、アメリカのイラン進出の好機であり、事実その黒幕となったのがアメリカの諜報機関CIAだった。アメリカの国務長官ジョン=フォスター=ダレスは、弟のCIA長官アレン=ダレスとともにクーデタ計画を練り、駐イラン大使に実行させた。CIAの資金でテヘランの貧民層を買収して暴動を起こさせたのである。アメリカはクーデタ成功によってイギリスからイランの石油資源の40%を得ることを約束されていたという。後になってイランでのアメリカ外交政策への反発が強くなり、1979年のイラン革命ではアメリカ大使館占拠事件が起こった。イラン革命の指導者ホメイニはアメリカを「大悪魔」と呼び、アメリカ大統領ブッシュ(子)はイランを「悪の枢軸」の一員と呼んで憎悪し合う。この遠因の一つは1953年のアメリカの介入によるクーデタにある。<宮田律『物語イランの歴史』2002 中公新書>