パフレヴィー2世
イランのパフレヴィー朝皇帝。1953年、モサデグ政権を倒し白色革命を開始、開発独裁の政治を展開。
パフレヴィー朝イランの第2代皇帝(シャー)。幼少時はスイスなどで教育を受けた。1941年、父のレザー=シャーに代わり即位。
イラン革命 が起こり、国外に亡命した。末期癌を病んでいたのでアメリカは彼をニューヨークの病院に入院させたが、イラン国民は反発し、テヘランのアメリカ大使館人質事件が起こった。1980年、エジプトで死去。
モサデグ政権を倒す
第二次世界大戦後のイランにおいてもイギリス、ソ連の圧力の中で立憲君主政が機能し、政治を内閣に任せていたが、石油国有化政策を強行したモサデグ政権を1953年にアメリカのCIAなどと協力してイラン=クーデターで倒して独裁的な権力を握った。白色革命
1961年には極端な西欧化政策をとり、いわゆる開発独裁の形態をとって国民生活を犠牲にした「白色革命」を強行。長期にわたって秘密警察(SAVAK)を用いて反体制派を徹底的に弾圧し、言論・出版の自由をはくだつした。イラン革命で亡命
このようにパフレヴィー2世の政治はイラン国民の民族的・宗教的感情を無視したため、次第に国民の反発が強まり、1979年に