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サンディニスタ民族解放戦線/FSLN

1979年、ラテンアメリカのニカラグアでのソモサ独裁政権を打倒して革命政権を樹立し、社会主義体制の建設を目指した。81年にアメリカ軍の直接介入を受けたが、抵抗を続け、84年には指導者オルテガが大統領に当選した。

 サンディニスタという名は、ニカラグアで1927~33年、アメリカが派遣した海兵隊と戦い最後は暗殺されたサンディーノ将軍に由来する。アメリカの軍事干渉に粘り強く抵抗した象徴的人物であり、ニカラグアの親米独裁政権のソモサ政権の打倒に立ち上がったゲリラ組織の名称となった。

ニカラグア革命政権樹立

 サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)は、1961年に結成され、戦前の37年から長期独裁政権を続けているソモサ一家に反対して活動を開始、労働者・農民・学生に支持を広げてゆき、「サンディニスタ運動」と言われる広がりを持つようになった。アメリカの支援を受けたソモサ政権による激しい弾圧を受けたが、次第に一般市民、中間層にも反ソモサの支持が広がり、1979年6月9日に蜂起し、臨時政府を樹立した。
 革命政権は民族再建政府と称して、5人の最高評議会を中心に、土地改革・識字運動などを推進した。またソモサ家の不正蓄財による財産を没収した。しかし、急進的な革命には中間層が反発し、80年には中道派が離脱した。

アメリカの介入

 ニカラグアにおける反米政権が他の中南米諸国に伝染することを恐れたアメリカのレーガン政権は、1981年に軍事介入に踏み切り、反革命派(コントラという)に武器・資金を援助し、隣国のホンジュラスの基地からニカラグアに侵攻させた。こうしてニカラグアでは革命政府軍とアメリカに支援された反革命軍の内戦が始まった。サンディニスタ側はキューバとソ連から軍事支援を受け、冷戦末期の東西代理戦争の様相を呈した。

和平への動き

 サンディニスタ政権は内戦下の非常時態勢の中で非同盟主義、混合経済、複数政党制、少数民族自治などを基本路線として国民の支持を集め、1984年の大統領選挙で国家再建委員会議長のダニエル=オルテガが大統領に選出された。ようやく和平交渉が始まり、コンタドーラ=グループが仲介して87年8月中米5ヵ国首脳会議でのグアテマラ同意にもとづいて90年2月に総選挙が行われることになった。<『ラテンアメリカを知る事典』1987 平凡社 などによる>

オルテガ政権の復活

 1990年の総選挙ではサンディニスタは多数を取れず政権を失うことになった。その後、中道・保守政権が三期続いたが、汚職が広がり、格差が拡大して再び左派政権への期待が強まり、2006年11月の大統領選挙でダニエル=オルテガが16年ぶりに大統領に復帰した。アメリカはここでも選挙に干渉し、オルテガが当選すれば経済援助を停止すると脅したが、国民は内戦中にアメリカの経済封鎖に耐えた経験からその脅しに屈しなかった。<伊藤千尋『反米大陸』2007 集英社新書 p.25-26>
 オルテガ大統領は、ラテンアメリカ諸国で反米姿勢を明確にしているキューバカストロベネズエラチャベスエクアドルのコレア、ボリビアのモラレスなどと協力態勢を組んだ。

オルテガ政権の独裁化

 サンディニスタ民族解放戦線のダニエル=オルテガ大統領は2007年に大統領に復帰してから、医療や教育の無償化など貧困層を支援する一方、連続再選を禁止した憲法を改正してその地位にとどまってきた。2018年からその独裁的な政治手法に対して批判が強まったが、政権は野党指導者や批判的な報道をした記者を拘束して拷問するなどでの暴力的な「独裁」を続けている。かつて1979年の革命でソモサ独裁政権を倒したサンディニスタ民族解放戦線の指導者自身が、いったん権力を握ると独裁者化するというのは、ラテンアメリカでよく見られる現象であるが、オルテガ政権が果たして存続するかどうか、2021年11月の大統領選挙が注目された。<朝日新聞 2021年11月6日記事による>
 2021年11月8日の大統領選挙はオルテガ大統領の4選が決まり、独裁政治の長期化がさらに懸念されることになった。 → ニカラグアを参照
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