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アラブの春

チュニジアでの民衆蜂起から始まり、2011年にアラブ諸国に広がった民主化と自由を求める運動。エジプト、リビア、イエメンなどで独裁的政権が倒されたが、民主化後のアラブ各国での課題も多い。シリアでは激しい内戦が最近まで続いている。

チュニジアの民主化革命

 チュニジアの26歳の青年、失業中のムハンマド=ブーアズィーズィーは中部の町の街頭で果物や野菜の販売を始めた。無許可だったため警察官が商品とはかりを没収され、さらに女性警官から暴行を受けたうえ、没収品の返還と引き換えに賄賂を要求された。彼は抗議して2010年12月17日午前11時30分、県庁舎前でガソリンをかぶって焼身自殺した。それを知った青年と大衆は、翌2011年1月3日に、首都チュニスで立ち上がり民衆暴動に発展させ、14日それまで独裁的な権力をふるっていたベン=アリ大統領を辞任に追い込んだ。この劇的な変革は、チュニジアで最も広く見られる花の名を付けてジャスミン革命と言われた。

アラブ諸国の民主化

 このチュニジアの民主化運動の成功は、アラブ各国の強権政治に苦しんでいた民衆にたちまちのうちに広がった。エジプトでは盤石と思われていたムバラク政権が倒れ、またリビアでは強大な権力をふるっていた独裁者カダフィ大佐が倒された。イエメンでもチュニジアでデモが始まったわずか4日後に首都で学生の反政府運動が始まり、30年にわたって大統領の地位にあったサレハ大統領が12月に退陣した。アサド親子による40年に及ぶ独裁政権が続いたシリアでも民衆が蜂起したが、ここではロシアなどの支援を受けたアサド大統領側が激しく反撃し、深刻なシリア内戦が勃発した。その混乱の中から「イスラーム国(IS)」という新たな軍事勢力が台頭するなど、事態は深刻さをましている。2020年初頭段階でもアサド政権は維持されている。

アラブの春のその後

 このような2011年の一連のアラブ諸国における動きは、「アラブ革命」あるいは「アラブ民主革命」とも言われるが、マスコミによって「アラブの春」と名づけられ、その呼称が定着した。しかし、これらのアラブ諸国で始まった民主化の動きは、順調には進まなかった。むしろ独裁政権が退いたことによって、それによって押さえられていた部族対立や宗教対立が息を吹き返してしまい、治安の悪化がいわゆるイスラーム過激派の暴力の横行を許してしまうと言う傾向が出てきた。中にはエジプトのように軍事政権が復活してしまうところも出ている。またシリアやイエメンのように内乱がさらに深刻になっているケースもある。ここでは状況が悪化した例としてシリアを見てみよう。

混迷するシリア情勢

 「アラブの春」といわれたアラブ世界の民主化の運動は、大きなうねりとなって広がり、チュニジア、エジプト、リビア、イエメンでは独裁政権が倒れるという変化をもたらした。一方、シリアではアサド政権は崩壊寸前までいったが、内戦は続いているにもかかわらず結局倒れることなく存続している。また、エジプトでは誕生した軍事政権によって再び抑圧的な政治が強まっている。これらのアラブの春がうまくいかなかったところとして、シリアの情勢の概略を見ておこう。 → 詳しくはシリア内戦の項を参照
 シリアのアサド政権(バース党)は、ハーフィズとバッシャールの親子に「世襲」され、言論や政党活動の自由の制限が続き、国民の不安が鬱積していたところに、2011年春、チュニジアでアラブの春といわれる民主化運動が起きると、たちまち伝播することとなった。3月15日にダマスクスなどの都市で市民がアサド政権打倒のデモ行進を行ったことに対し、政府軍が武力弾圧を行ったことからシリアは内戦状態となった。政府軍と自由シリア軍などの反政府軍の内戦が激化し、一時はアサド政権側の掌握地域が国土の約3割程度にまで縮小され、シリアでも革命が成功するかと思われたが、アサド政権は伝統的に関係の深いロシア、イランの支援を受けて勢力を盛り返した。反政府側にはアメリカが支援して代理戦争の様相となったが、反政府軍にはアルカイダ系の過激組織も含まれており足並みは揃わなかった。さらに2013年頃から、「イスラーム国」(IS。厳密にはその称号は複雑に変遷するが、わかりやすくISに統一して説明)がカリフ制の復興、現在の国境の否定などイスラーム原理主義を掲げて急速に台頭、反政府軍との関係も悪化してシリア情勢は三つ巴状態となった。さらにシリア情勢を複雑にしていることにトルコ・イラクとの国境地帯のクルド人が民族の独立を主張して独自の軍事組織を持ち、政府軍・イスラーム国と対立していることもあげられる。
 国際的な批判もイスラーム国の非人道的な行為に向けられたことでアサド政権に対する風向きが変わり、イスラーム国支配地域へのアメリカ軍の空爆が行われるなどによって、2015年頃をピークにイスラーム国は次第に追いつめられていった。アサド政権側にも依然として化学兵器の使用などの疑惑などがあって国際世論は支持に向いていない。しかし、反政府側の一本化も全く見通しが立っておらず、依然として混迷している。内戦の過程で日本人ジャーナリストが犠牲になって殺害され、人質となって抑留されるなど目を離せない事態が続いている。
 このシリア内戦の背景には、民族の問題・宗教の問題(スンナ派とシーアの対立、少数派イスラームやアラブのキリスト教の存在など)、そして近代の西欧列強による分割支配など、世界史的な要因が存在している。世界史の学習でも現実の問題として捉えながら取り組む必要のある課題の一つだ。
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書籍案内

臼杵陽
『世界史の中のパレスチナ問題』
2013 講談社現代新書

古代から現代までをカバーしてパレスチナ問題の歴史的経緯を詳細に解説。新書版にしては大部だが2013年までの情報を含んでいて便利。