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アサド

父はシリアのバース党指導者で1971年からシリアの大統領。2000年に死去し息子が世襲した。2011年、「アラブの春」が波及したことからシリア内戦となった。

 ハーフィズ=アサドシリア=アラブ共和国の大統領(1971~2000)。軍人出身で、1963年のクーデターで政権を握ったバース党を率い、1970年に首相兼任、1971年から大統領となり、エジプトのナセル亡き後のアラブの指導者の一人となった。
 彼はイスラーム教としては少数派のアラウィー派に属していたが、多数派のスンナ派を巧みに味方に付け、独裁的な権力を獲得した。1973年の第4次中東戦争では、エジプトのサダトと共にイスラエルと闘い、ゴラン高原の奪回をはかったが失敗した。1975年からは西に隣接するレバノンに介入し、国際的な批判を受けた。2000年に死去し、大統領の地位は息子のバッシャール=アサドに「世襲」された。

二代目アサド政権とシリア内戦

 アサド政権が世襲され、独裁政治が続く事に対し、シリア内部の民主化を求める声が強まったが、二代目バッシャール=アサドはロシアの支援を受けて国際的には権力を維持することが出来ていた。そのようなところに、2011年1月、チュニジアに起こったアラブの春といわれた民主化運動がシリアにも及び、反アサド暴動が起こった。アサド政権は反政府運動を厳しく弾圧したため、ついに反政府側は武装し、激しいシリア内戦となった。
アサドとプーチン

握手するアサドとプーチン 2017/11/21
Wikimedia Commons

 内乱が深刻になるとともに、アサド政権はクルド人の自立の動きに加えて、2014年からは新たなイスラーム過激派による「イスラーム国(IS)」の出現という脅威にさらされ、一時は国土の大半を失うほどの打撃を受けた。アメリカが民主化を支持することを掲げてアサド政権打倒をはかり、反政府軍を支援したのに対して、ロシアや同じシーア派で繋がりのあるイランの軍事支援を得たアサド政権は盛り返していった。

ロシアの軍事介入とアサド政権の回復

 ロシアのプーチン大統領は、2015年9月30日、イスラーム過激派イスラーム国(IS)の掃討を口実にアサド政権に対する軍事支援を開始、シリア内戦に直接介入した。これはアサド政権支援をつぐけるアメリカと西側諸国に対抗する意図があり、前年の2014年3月にウクライナ領のクリミア半島を強引に併合したこととあわせ、その軍事的優位を占めそうとするものであった。
 反政府側の民主化勢力と、イスラーム過激派、クルド人勢力の歩調が合わず内部で対立していたこともあって、反体制派は各個撃破され、アサド政権は支配地域を次第に奪還して、2018年4月までにイスラーム国をほぼ壊滅に追いやり、反政府軍に対しても優位を回復した。
 2011年のアラブの春で一定の民主化の進んだアラブ諸国は、シリア内戦の勃発に際して、サダトの独裁政治と民主化運動弾圧を非難しアラブ連盟からのシリアの参加資格停止を決定していたが、アサド政権の軍事的優位が確立したとして、2023年5月、その復帰を承認した。  しかし、50万人の死者、1300万人と言われる難民を出している内戦の責任、特に化学兵器などの非人道的な兵器の使用などの疑いや、その責任は問われまいままになって言う。<2023/5/23 記>
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