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ミタンニ

前15世紀、メソポタミア北部にあった王国。エジプト新王国、ヒッタイトなどと抗争した。前13世紀ごろ、アッシリアに滅ぼされた。

 前16世紀からメソポタミアの北方の山岳地帯を支配したミタンニ人が建てた国で、ミタンニ人はインド=ヨーロッパ語族とされている。しかし、ミタンニを構成していた多くの人々は、もともとコーカサス地方にいたフルリ人(フリ人ともいう)であったという。このフルリ人の民族系統は不明である。
 その建国の経緯は、首都とされるワシュカニという町が未発見であるため、よくわかっていない。前16世紀のヒッタイトの文書に「フリ人の王」と戦ったことが記されており、エジプトの同時期の王の墓碑銘でも言及されている。

前15世紀の西アジア国際関係

 前15世紀にはシリア・イラク地方に進出してきたエジプト新王国と対抗、他方で小アジアのヒッタイトとも抗争した。前1440年頃のサウシュタタルという名の王のころが最も有力であった。サウシュタタル王は一時はアッシリアの中心部へ攻め込みかなりの打撃をあたえている。一方でエジプト新王国とは婚姻関係を結び、ミタンニ王がエジプト王に送ったフリ語で書かれた長文の手紙もあった。
 前14世紀には王家に内紛が起こったことと、ヒッタイトと戦って敗れたことで衰退した。メソポタミア北部でははじめはアッシリア人を服属させていたが、そのアッシリア人がヒッタイト人から鉄器を学び、次第に有力となると、ミタンニは、ヒッタイトとアッシリアの緩衝地帯として存続したが、前13世紀ごろには消滅する。アッシリアによって滅ぼされたと考えられている。 → その位置はヒッタイトの地図を参照
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ノートの参照
1章1節 ウ.メソポタミアの統一と小アジア