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ヒッタイト

印欧語族に属し、前17世紀中ごろ、小アジア中心に王国を建設。西アジアで最初に鉄器を使用したとされる。エジプトと激しく争った後、前1200年頃、海の民の侵攻によって滅亡した。

 小アジア(アナトリア=現在のトルコ)におこり、前1650~1200年頃、西アジアを支配した、インド=ヨーロッパ語族のヒッタイト人の国。ハッティともいう。突然西アジアに侵入し、バビロンを占領、バビロン第1王朝を滅ぼした。西アジアに最初に鉄器をもたらした民族とされる。
 前13世紀にはシリアに進出したエジプト新王国と争い、前1286年頃にはラメセス2世とシリアのカデシュの戦いで対決した後、講和条約を締結した(最初の国家間の講和条約と言われる)。しかし、前1200年頃、「海の民」の侵入を受けて滅亡したと思われるが、その事情はわからない点が多い。
 ヒッタイトが滅亡したことによって、独占していた鉄器製造技術が、西アジアから東地中海一帯へ拡散され、文明段階の青銅器時代から鉄器時代へと移行したと考えられている。

都ハットゥシャシュ

 20世紀の初頭、トルコのボガズキョイ(ボアズキョイとも表記)で発掘された遺跡から、ヒッタイト王国の歴史を物語る楔形文字の粘土板が多数発見され、この地がヒッタイトの都ハットゥシャシュであったことが判明した。

Episode ヒッタイト王国の発見

 ヒッタイトという民族は、旧約聖書にヘテ人として現れるが、いったいどのあたりにいた、どのような民族で、その国はどんな国だったのか、全く忘れ去られていた。19世紀にエジプトのテル=エル=アマルナから発見された粘土板文書(アマルナ文書)の中にハッティ国とエジプト新王国の間に交わされた書簡が見つかり、おぼろげながらその存在が浮かび上がった。そして1905年から翌年にかけて、ドイツのヴィンクラーという学者がトルコの首都アンカラの東のボガズキョイ村の遺跡で多数の粘土板を発見した。その中の一枚にアッカド語で書かれた粘土板を読み始めた彼は、一瞬、我を忘れた。粘土板文書はエジプト新王国のラメセス2世からヒッタイト王のハットゥシリ3世にあてた書簡で、カデシュの戦いの後に両国で交わされた平和条約に関するものだった。ヴィンクラーはその条約文が、エジプトのカルナック神殿の壁面に刻まれているものとほぼ同一であることを発見したのである。こうしてこの遺跡がヒッタイトの都、ハットゥシャシュであることがわかった。<大村幸弘『鉄を生み出した帝国』1981 NHKブックス p.3-5>
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1章1節 ウ.メソポタミアの統一と小アジア
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『鉄を生みだした帝国』
大村幸弘 NHKブックス