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市民権法(アテネ)

古代ギリシアのアテネでペリクレスのとき成立した市民権の規定。

 「ペリクレスの市民権法」と言われ、アテネの民主制全盛期の前451年に、ペリクレスによって民会に提案され、可決された。アテネ市民は、両親ともアテネ人である嫡出の男子のみに限定するというもの。これ以前は父親はアテネ市民でなければならなかったが、母親は外国人でもよかったのをあらため、市民権をより閉鎖的にした。メトイコイ(在留外人)は自由民ではあるが、市民権はなく、民会への参加などの参政権は認められなかった。 → ポリスの市民ポリスの貴族ポリスの平民

Episode ペリクレスのジレンマ

 ペリクレスには息子が二人いたがいずれも疫病で死んでしまった。前妻を離婚したペリクレスは、アスパシアという才色兼備のヘタイラ(遊女)と同棲し、男の子をもうけた。しかしアスパシアはミレトス出身でアテネ人ではなかったので、その子も市民権法ではアテネ市民にはなれないことになる。こうなると跡継ぎがいないことになり、ポリス社会では基盤が無くなってしまう。そこでペリクレスは民会に訴え、特例で市民権法の解除を求めた。自分の提案で成立した法律に、自ら反することになったわけだが、民会はペリクレスの功績にかんがみ、特別に認める決定を下したという。<村川堅太郎ほか『ギリシア・ローマの盛衰』1993 講談社学術文庫などによる>
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ノートの参照
1章2節 キ.ペルシア戦争とアテネ民主政
書籍案内

村川堅太郎・長谷川博隆
『ギリシア・ローマの盛衰』1993
講談社学術文庫