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ウェスパシアヌス

1世紀のローマ帝国でネロに次いで皇帝となり、帝国を再建。ローマのコロッセウムの建造に着手した。

 ローマ帝国ネロが悪政を行い、自殺に追い込まれたあと、軍団兵士の推薦を受け、元老院の承認を受けて皇帝に選任された。在位69~79年。皇帝となったとき既に60歳であった。ウェスパシアヌスは騎士階級の出身で、軍人として各地を転戦し、特に前66年にはパレスチナにおけるユダヤ人の反乱、いわゆるユダヤ戦争を鎮圧して名声を高めた。ネロが自殺し、カエサルおよびアウグストゥスの血をひくユリウス=クラウディウス朝が断絶、ウェスパシアヌスと次に順次帝位についたティトウスとドミティアヌスの三代を、その出身氏族名からフラヴィウス朝という。

コロッセウムの建設

 皇帝ウェスパシアヌスの最大の課題は、ネロ帝の時に破綻した財政再建と大火後のローマの再建であった。そのために莫大な財源が必要なので、彼はさまざまな間接税を設け、戸口調査を行い、緊縮財政を実施した。しかし、市民の“パンと見世物”の要求に応えることも、ムチに対するアメとして必要であったので、ローマに剣闘士競技のための大競技場を建設することにした。実はそれまでローマには大規模な競技場はなく、戦車競技用の横長のトラックなどで代用していたので、これが本格的な円形競技場の最初であった。これが現存するローマのコロッセウムであり、大規模な工事となったため、完成したのは次のティトウス帝の時であった。この建築はローマのシンボルとして、現在に伝えられている。

ウェスパシアヌスの小便税

 ネロのときに破綻したローマの財政を建てなおすため、皇帝ウェスパシアヌスは増税策としてさまざまな間接税を編み出した。特に属州の貢税率を上げようと工夫したので、属州民は皇帝を泥棒呼ばわりしたという。
(引用)彼の伝統にとらわれることのない斬新な発想は、小便税とでも訳すべき間接税に如実に表れている。現代で言えば洗濯屋兼染め物屋に相当する縮絨(しゅくじゅう)業者は、公衆便所にたまる尿を毛織物染色および洗濯に無料で活用していた。その尿に税を課したので、ウェスパシアヌスは、市民にとって絶好の嘲笑の的になった。(ある人が体裁を考えるよう意見を言うと)ウェスパシアヌスは最初に徴収した税の中から貨幣を取り出して「臭いかね」と訊ねたという。<青柳正規『皇帝たちの都ローマ』1992 中公新書 p.256>
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1章3節 エ.ローマ帝国
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青柳正規
『皇帝たちの都ローマ』
1992 中公新書