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パルミラ

シリアのオアシス隊商都市で、交通の要衝。ローマ軍に破壊された。

 パルミュラともいう。シリア砂漠のほぼ中央に位置するオアシス都市で、ペルシア湾方面からダマスクスと地中海東岸の海岸都市を結ぶ隊商貿易の中間の要衝として栄えた。紀元前1世紀のヘレニズム時代から繁栄した都市であったが、1世紀からはローマに服属した。3世紀にはその東のイラン高原に興ったササン朝がシリアに進出するとそれに抵抗し、ローマとササン朝の中間にあって女王ゼノビアはシリアからエジプト、小アジアにかけての勢力を築いた。272年、ローマ帝国のアウレリアヌス帝(軍人皇帝の一人)が遠征軍を派遣し、パルミラを制圧した。女王のゼノビアは、才色兼備の女王でありローマ軍とよく戦ったが、敗れて捕虜となりローマに連行され、パルミラもアウレリアヌス帝によって破壊された。現在はローマ時代の神殿や列柱のある道路、円形劇場などが砂漠の中の遺跡として残っており、世界遺産に登録されている。
パルミラ: 写真
パルミラ (トリップアドバイザー提供)

Episode 女傑ゼノビア

 18世紀イギリスの史家ギボンの『ローマ帝国衰亡史』第11章では、このパルミラと女王ゼノビアについて述べている。「・・・おそらくゼノビアこそは、アジアの風土風習が女の性(さが)として与える隷従怠惰の悪癖をみごとに打破してのけた、ほとんど唯一の女傑だったのではなかろうか。・・・その美貌はクレオパトラにもおさおさ劣らず、貞節と勇気でははるかに上だった。最大の女傑というばかりでなく、最高の美女としてもその名は高い。肌は浅黒く、・・・歯並みは真珠のように白かったという。漆黒のおおきな瞳は、ただならぬ光を帯びて輝き・・・声は力強く、しかも実に音楽的だった。」という最大限の賞賛を与えている。<ギボン『ローマ帝国衰亡史』2 p.39 ちくま学芸文庫>
 なお、ゼノビアとパルミラの遺跡については、牟田口義郎『物語中東の歴史』中公新書p.45~ にも詳しく述べられている。

出題

2010年 京大 第2問 問(4)2 シリア砂漠にあり、3世紀後半には女王ゼノビアの統治下に繁栄し、現在その遺跡がユネスコ世界遺産として有名な隊商都市の名を記せ。

解答

「イスラム国」による破壊

 2014年にアサド政権に対する反政府勢力として急成長した「イスラム国」(IS)は、2015年5月、シリア中部のパルミラを制圧した。シリア文化省のアブドゥルカリーム遺跡・博物館局長によると、同省はISがパルミラ侵攻後、イスラーム教の霊廟と国内有数の歴史的価値がある2世紀のライオン像(高さ3.5m)を破壊したことを確認しているという。シリア当局はISが歴史的遺産を破壊するのは、偶像崇拝禁止などの信仰心だけでなく貴金属の密売による資金獲得が目的であるとしており、遺跡の博物館の多くの収蔵品はISの制圧前にダマスカスに移したという。ISは8月中旬には元遺跡管理責任者で考古学者のハレド=アサド氏を殺害、そしてついに23日には世界遺産の一部で最も保存状態のよかったバール・シャミン神殿を爆破したと複数の通信社が伝えている。<朝日新聞 2015年8月18日、8月24日の記事による>
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ノートの参照
1章3節 オ.3世紀の危機
書籍案内

エドワード・ギボン
『ローマ帝国衰亡史』2
中野好夫訳
1997 ちくま学芸文庫

牟田口義郎
『物語中東の歴史』