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軍人皇帝

3世紀中ごろに相次いだ軍人出身のローマ皇帝。

ローマ帝国の3世紀の中頃の約50年間、ローマ皇帝の地位は軍人出身者によって占められ、頻繁に交替した。このような皇帝を軍人皇帝といった。彼らは軍隊の力によって擁立されたが、軍隊の意に反することがあれば容易に退位させられた。軍隊によって皇帝の地位が左右されたこの時期を軍人皇帝時代とも言う。またローマの「3世紀の危機」とも言われている。この時期を経てローマ帝国は民主政の原理の上に立っていた元首政の時期が終わり、後半の専制君主政の時期に移行する。
 235年、皇帝セウェルス=アレクサンデルがライン川付近のゲルマン人討伐作戦中、その兵士によって暗殺され、軍人から推挙されたマクシミヌス帝が即位してから、285年にディオクレティアヌス帝が専制君主政を開始するまでの50年間、ローマ皇帝位は軍隊によって動かされ、18人も入れ替わった。260年にササン朝軍と戦って捕虜となったウァレリアヌスや、272年にシリアのパルミラを征服したアウレリアヌスらが典型的な軍人皇帝であった。彼らのうち、暗殺された者が16名という皇帝の権威が動揺した不安定な時期となった。その背景にはササン朝ペルシアとの抗争、北方のゲルマン人との戦いが激しくなり軍隊の発言力が強まっていたことがあげられる。しかし、ローマ帝国の軍事力の実態はゲルマン人傭兵に依存する度合いが強くなっていた。それを乗り切ったのがディオクレティアヌス帝であったが、それ以降は共和政の性格は全くなくなり、専制国家として存続することとなる。
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ノートの参照
第1章3節 オ.3世紀の危機