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アラブ人

アラビア半島の遊牧民。アラビア人。イスラーム教徒の意味もある。

 アラブ人は、本来はアラビア半島を原住地とするセム系民族でアラビア人ともいう。彼らは広大な砂漠地帯で、遊牧生活を送っていたので、ベドウィンとも言われる。いくつかの部族に分かれ、交易と略奪に従事し、それぞれの部族神を礼拝する多神教を信仰していたが、7世紀に厳格な一神教であるイスラーム教を創始したムハンマドによって統一された。イスラーム教の教団国家は当初、アラブ人が主体となっており、非アラブ人のイスラーム教徒は差別される状態だったため、「アラブ帝国」と言われたが、イスラーム教の拡大に伴い、その周辺の諸民族と融合していくと次第にアラブ人と非アラブ人の差はなくなり、アッバース朝の時からは「イスラーム帝国」となった。こうしてアラブ人の概念そのものも拡張されていった。単にイスラーム教の信者と言うときには「ムスリム」を使う。また、イスラーム教徒の商人はムスリム商人といわれ、帝国の拡大に伴い広く東西で活動するようになり、東では中国にも及んだ。中国では唐代以来イスラーム教徒(広い意味のアラブ人)は「大食(タージ)」といわれた。

現在のアラブ人概念の拡大

 現在は「アラブ」の意味は拡大され、「アラブ化した民族」の総称となっている。「アラブ化」とは、「アラビア語を話し」、「イスラーム教の信仰と文化を受け入れる」ことである。イスラーム教の聖典である『コーラン』(正確な発音ではクルアーン)はアラビア語で書かれ、それは神の言葉であるから翻訳不可能であり、イスラームを信仰すれば必然的にアラビア語を習得することになるので、イスラーム教の拡大と共にアラビア語が広がっていった。現在ではその「アラビア語を用いる人」をアラブ人といい、西からモロッコ、アルジェリア、リビア、エジプト、サウジアラビア、シリア、ヨルダン、レバノン、イラク、イエメンなどに広がっている。これらの諸国は「アラブ諸国連盟(アラブ連盟)」を構成しており、旧オスマン帝国に支配された領域に含まれるている。

中東地域でのアラビア語以外の主な言語

 イラン人のペルシア語、トルコ人のトルコ語、クルド人のクルド語があり、彼らはイスラーム教徒であるが、アラブ人とはされない。このうちペルシア語はアラビア文字で表記されるがアラビア語ではない。トルコ語はかつてはアラビア文字で表記されたが、近代のケマル=アタチュルクの改革の時にアルファベットを使用するようになった。なお、アフガニスタンもイスラーム教圏であるが、言語はパシュトゥーン語とダリー語が主に使われ、これらは表記はアラビア文字が使われるがアラビア語ではないので、アラブ人ではない。このようにアラビア文字を使うがアラブ人ではない場合があるので注意を要する。<現代アラブの概念については、池内恵『現代アラブの社会思想』2002 講談社現代新書 p.35 などによる> 

ユダヤ人の入植とアラブ連盟の結成

 近代になると、「アラブ」の意味するものは国際関係の中で重要な意味を持つこととなる。それは第一次世界大戦前から始まったシオニズム運動によってアラブ人の居住しているパレスチナの地にユダヤ人の入植が始まったことによる。両者は当初は共存していたが、次第に対立するようになり、1945年3月には、アラブ人国家の国王たちがイギリスなどの中東への干渉を排除するために、アラブ連盟(アラブ諸国連盟)を結成した。

アラブとイスラエルの対立

 しかし、第二次世界大戦後に国際連合の出したパレスチナ分割案をめぐって、それを受諾したユダヤ人がイスラエルを建国したことに対してアラブ連盟が強く反発し、1948年にパレスチナ戦争(第一次中東戦争)が勃発した。これ以後、パレスチナ問題におけるアラブ諸国とイスラエルの対立は第二次世界大戦後の最大の不安定要素となり、現在も続いている。
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ノートの参照
第4章1節 ア.イスラーム教の誕生
第16章1節 エ.南アジア・アラブ世界の自立
書籍案内

池内恵
『現代アラブの社会思想』
2002 講談社現代新書