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諸島部(島嶼部)

東南アジアの大陸部に対して、その東南部に延びるマレー半島と、インドネシアからフィリピンにかけての多数の島々をいう。海上交易が活発で多くの港市国家が存在し、仏教文化、ヒンドゥー文化、イスラーム文化が伝播した。資源が豊かであったため、16世紀以降はスペイン、オランダ、イギリス、アメリカの植民地となり、第二次世界大戦では日本の軍政が布かれた。大戦後多くの国が独立、半島部諸国と共にASEAN諸国を形成している。

 群島部、島嶼部ともいう。マレー半島スマトラ島ボルネオ島(カリマンタン島)、ジャワ島、スラウェシ島、モルッカ諸島など現在のインドネシアの島々、及びフィリピン諸島からなる。マレー半島はインドシナ半島と地続きだが、気候的にも、文化的にも諸島部に入れるので注意すること。人種的にはマレー=ポリネシア語族(オーストロネシア語族ともいう)が多く、現在はフィリピン、マレーシア、シンガポール、インドネシア、ブルネイ、東ティモールの諸国を形成している。

港市国家の発達

:早くからインド洋の商業圏と中国の商業圏の中間に位置して交易が盛んであったので港市国家が発達した。マレー半島とスマトラ島の間のマラッカ海峡を抑えて7世紀に起こったシュリーヴィジャヤ王国、ジャワ島に8世紀に起こったシャイレーンドラ朝などがそれにあたり、インドや中国とも交易を行い栄えていた。

仏教文化とヒンドゥー文化

:東南アジアの半島部と同じように、この地域もはじめは仏教とヒンドゥー教が伝わった。シュリーヴィジャヤ王国には唐僧義浄がインドに行く途中たちより、大乗仏教が盛んだったことを伝えている。また8世紀にはジャワ島のシャイレーンドラ朝ボロブドゥール寺院が建設された。

イスラーム化

:13世紀以降、次第にイスラーム化が進み、15世紀のマラッカ王国が最初に栄えたイスラーム教国である。ジャワ島にはヒンドゥー強国マジャパヒト王朝があったが、後にイスラム化し、マタラム王国などのイスラーム王朝が香料貿易で栄えた。スマトラ東北西部にはアチェ王国が同じく香料貿易で栄えた。フィリピン南部のミンダナオ島もイスラム化した。 → 東南アジアのイスラーム化

ヨーロッパ諸国の侵出

:1511年のポルトガルのマラッカ占領以来、ヨーロッパ人の進出が始まり、ついでオランダ、イギリスが進出してきた。フィリピンにはスペインが進出した。オランダ東インド会社がポルトガルの勢力を駆逐した後、イギリスとの競争が厳しくなり、それは1623年のアンボイナ事件の結果、オランダの勝利となり、イギリスはインド・ビルマ・マレー半島に後退し、東南アジア諸島はオランダ領東インドとなった。

英蘭米による分割

:その後、ナポレオン戦争の時、オランダがフランスに占領されたのを期にイギリスが一時ジャワ島なども占領したが、ナポレオン没落後の1824年のイギリス=オランダ協定でマレー半島はイギリス領(イギリス領マラヤ)、スマトラ島・ジャワ島などはオランダ領とすることで合意した。これによって諸島部はマレー半島とボルネオ島の北部がイギリス、その他の島々がオランダに分割支配されることとなり、第二次世界大戦後に独立する際に、前者がマラヤ連邦(後のマレーシア)、後者がインドネシアとして独立することとなった。またフィリピンはマゼラン以来スペインの支配下にあったが、米西戦争の結果、アメリカの植民地となった。

日本の軍政と諸島部諸国の独立

 第二次世界大戦中には日本が石油などの資源を求めて東南アジアに進出、そこから太平洋戦争へと突入していった。日本軍は、欧米による植民地支配からアジア諸民族を解放すると称してイギリス、オランダ、アメリカの支配をいったん終わらせたが、大東亜共栄圏構想のもとでの日本の軍政は諸島部諸民族の反発も根強かった。
 第二次世界大戦後、欧米の植民地支配が復活したが、戦後の民族独立の世界的な潮流の中で、東南アジア諸島部諸国も次々と独立を果たした。旧オランダ領東インドはインドネシアとして独立。イギリス領マレー半島はマラヤ連邦として独立、後にボルネオ島北部をあわせてマレーシア連邦が成立した。さらにマレーシアからシンガポールが分離した。またアメリカからフィリピンが独立した。さらにブルネイがマレーシアから分離し、東ティモールインドネシアから分離独立した。
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ノートの参照
2章2節 ア.東南アジアの風土と人びと