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扶南

紀元1世紀末、メコン川下流に生まれた東南アジア最古の王朝。港市国家の一つ。

 ふなん、とよむ。扶南と漢字で書くのは中国の歴史書に現れた表記で、クメール語のプノーム(山の意味)と関係があるらしい。東南アジア最古の王朝と考えられる、紀元1世紀末にメコン川下流の現在のカンボジアからベトナム南部にかけて成立した王朝。この王朝の民族は、クメール人(オーストラロアジア系民族、現在のカンボジア人)か、マレー人(マレー=ポリネシア系)か、いずれかであるがはっきりしない。

建国神話とインド化

 扶南王国はカウンディンヤというインド人バラモンの王子が、南方より海路やってきて、その地の人民を服従させ、柳葉という名の女首長と結婚した、という伝承がある。その後、4~5世紀にヒンドゥー教・シヴァ神信仰・サンスクリットなどを取り入れ、「インド化」が進んだ。彼らは海上貿易でも活躍し、中国にも使節を派遣し、その貿易港オケオ(タイランド湾に面する港で、1940年代に遺跡が発掘された)などが繁栄した。扶南はメコン川を利用して内陸の物資を集積し、それを南シナ海交易圏でインドや中国との交易を行って利益を上げるという港市国家であった。7世紀中頃までに、メコン川上流に起こったクメール人の国である真臘(カンボジア王国)に征服された。

Episode 扶南→プノンペン

 「扶南」の位置はどの辺だったか。漢字が使われているので、中国に近い現在のベトナム北部あたりと勘違いしやすいが、メコン川下流のほぼ現在のカンボジアにあたる。実際には東南アジア全体にその支配領域を及ぼしていたらしい。この扶南は、クメール語の山を意味するプノムの古語プナムからきた言葉で、その地方の王が「クルング=プナム」すなわち「山の王」と言われていたのを中国人が扶南と書き写したものとされている。メコンデルタの平野部では小高い山が神聖な場所とされていたらしく、カンボジアの首都のプノンペンも「ペンの丘」という意味で、古い塔のあるペンの丘の南に出来た街である。扶南→プナム→プノンペン、と連想すれば、これがカンボジアの古代国家だったことが思い出せる。<石井米雄『世界の歴史14』インドシナ文明の世界 講談社 1977>
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ノートの参照
第2章2節 イ.インド・中国文化の受容