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アンコール=トム

カンボジア王国アンコール朝の王宮遺跡。アンコール=ワットが隣接する。

9世紀末から建造が始まり、12世紀末に完成したカンボジア王国のアンコール朝の王都。アンコール=ワットに隣接している。1181年、チャンパーの支配からアンコールを奪回したジャヤヴァルマン7世が完成させた。「大きな都」の意味で、5つの城門を持つ1辺約3kmの城壁と環濠に囲まれ、中央にバイヨン寺院が建造されたほか、多数の寺院が築かれている宗教的な都城である。20キロほど北方には、アンドレ=マルローの小説『王道』の舞台となったことで有名なパンテアイ=スレイ寺院があり、また南に隣接して東南アジアのヒンドゥー文化遺産として最も有名なアンコール=ワットがある。これらの多くの石造建造物は、カンボジア内戦で大きな被害を受け、また盗難などの被害が深刻になっている。

Episode 略奪が繰り返されているアンコール遺跡

 クメール人はすぐれた石彫技術を持ち、その遺産はアンコール=ワットとアンコール=トムおよびその周辺にたくさん残っている。しかしさらに多くの文化財がカンボジア国外に持ち出されてきた。まず14世紀にアンコール朝を滅ぼしたアユタヤ朝によって持ち出されたものは今もタイ国内にみられ、さらに18世紀にアユタヤ朝がビルマのコンバウン朝に滅ぼされたため、ビルマにも多数のクメール美術の遺品が持ち去れている。フランスがカンボジアを植民地化すると、クメール美術のすばらしさが注目され、多数の女神像や仏像、彫刻が海外に持ち出された。最も有名なのが、後にフランスの文化相になる作家アンドレ=マルローがパンテアイ=スレイ寺院の女神像(カンボジアのモナ=リザといわれた)を持ち出そうとして逮捕された事件であろう。彼は自ら『王道』という作品でその顛末を描いている。第2次大戦後の1970~80年代のカンボジア内戦が文化財の散逸に拍車をかけた。ポルポト派は遺跡の石像を切り出して密輸出し資金を稼いだ疑いをもたれている。そして戦乱のやんだ現在でも、アンコール周辺の遺跡は盗掘の被害が続いている。いわゆる骨董ブームがそれらの遺品に高値を呼んでいるのである。<三留理男『悲しきアンコール・ワット』2004 集英社新書>
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第2章2節 イ.インド・中国文化の受容
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三留理男『悲しきアンコール・ワット』2004 集英社新書