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広開土王碑

高句麗の広開土王の功績を記念してつくられた石碑。

 高句麗全盛期(4世紀末)の国王広開土王(好太王)を記念して立てられた石碑で、鴨緑江中流の北岸の丸都城付近にある。碑文によると広開土王は391年と399年の二度にわたり南下して、百済の連合軍と戦ったとされている。日本史ではこの記録をもとに大和政権が4世紀末に朝鮮半島南部に進出し、支配していた(任那など)というのが定説になっている。しかしこの石碑は1882(明治15)年に日本の軍人が発見したもので、その際に碑文が改ざんされたのではないか、という疑惑があり、韓国の史学会では疑問視されている。

史料 広開土王碑文

 百残、新羅はもとこれ属民にして、由来朝貢す。而るに倭、辛卯の年を以て来たりて海を渡り、百残□□□羅を破りて臣民と為す。(中略)九年己亥、百残誓いに違ひ、倭と和通す。
※辛卯=391年、己亥=399年
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3章2節 オ.周辺諸国の形成