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バスラ

イラク南部の都市でイスラーム教団のミスル(軍営都市)として始まる。その後も湾岸地方の主要都市として、重要性を増し、オスマン手国領となった後、イギリスが進出した。

 現在のイラク南部に、正統カリフ時代の第2代カリフ・ウマルが638年に建設したミスル(軍営都市)の代表的な都市。かつてはペルシア湾が現在より内陸に入り込んでいたので湾に面する港湾都市としても栄え、アッバース朝時代にはムスリム商人のインド洋交易圏に進出する際の拠点の一つとして栄えた。「シンドバットの冒険」の舞台ともなったところで、ダウ船が行き来していた。

イギリスの進出

 16世紀にはサファヴィー朝の領土となり、さらにオスマン帝国領となった。16世紀になるとポルトガルがペルシア湾に進出、ついで17世紀にはイギリスが進出して1643年に東インド会社の商館をバスラに設け、西アジア進出の拠点とした。
 その後もオスマン帝国領でありながら、イギリスはインド経営の中継基地としてもバスラを重視、湾岸地方制圧の拠点としていたが、帝国主義時代に入り、新興勢力のドイツヴィルヘルム2世は、ベルリンから延びる鉄道をイスタンブル(旧ビザンティウム)とバグダードにつなげ、さらにイギリスからバスラを奪う勢いを示すした。これが3B政策と言われるもので、イギリスの3C政策と対立することとなった。
 イギリスは1914年に第一次世界大戦が始まるとドイツと同盟したオスマン帝国と交戦して、この地を占領した。イギリスは戦後、イラクを委任統治としたが、形式的にはイラク王国という形態をとり、バスラもその一都市となった。1958年、イラク革命イラク共和国が成立すると、バスラは最大の商業都市となった。現在ではシャトルアラブ川と運河で結ばれ、石油精製工場も建設されイラクの主要な商業・工業都市となっている。
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