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ウマル

イスラーム教団の第2代カリフ。オマルとも表記。聖戦を展開し勢力を拡大した。

 イスラーム教教団の正統カリフ時代、第2代カリフ(在位634~644)。初代アブー=バクルと同じくクライシュ族のアディー家出身で、はじめメッカでムハンマドを厳しく迫害したが、後に改悛してムスリムとなり、イスラーム国家の建設に尽くしたので、「イスラームのパウロ」といわれる(パウロは初めイエスに敵対し迫害していたが改心して使徒となった)。娘はムハンマドの妻の一人となる。
 ウマルの時代は聖戦が展開され、まずシリアに進出して635年にダマスクスを征服、次いで637年にはカーディシーヤの戦いでササン朝ペルシア軍に勝利した。さらに西に転じてエジプトを征服、再び東進して642年にニハーヴァンドの戦いでササン朝ペルシアに勝利して、イラン高原に進出した。また広大な征服地を統治するため、徴税官を派遣し、アラブ戦士にはその税収入から一定の俸給(アター)を支払うこととし、またその業務のためにメディナに官庁(ディーワーン)を置いた。さらにイスラーム暦を定められたのもウマルの時である。644年、カリフ・ウマルの死により、生前の指名によってウスマーンがカリフの地位に就いた。

Episode 「スンナ派の名前、殺害の的となる」

 ウマル(一般にはオマルと表記することが多い)は、アラブではありふれた名前であるが、2003年のイラク戦争勃発後、イラクではこの名前を改名する人が続出しているという。それは、スンナ派とシーア派の宗教対立が続くイラクで、シーア派民兵が「オマル(ウマル)」という名の人を次々と殺害するという事態が起こったためだ。シーア派は「抑圧者」としての第2代カリフのオマルと同名のものを殺害し、宗教的憎悪をかき立てている。スンナ派はイスラーム世界全体では多数派であるがイラクでは少数派であり、サダム=フセイン時代には権力を握っていたが、現在は形勢が逆転した。「スンナ派とシーア派の対立はイスラーム草創期の歴史までが憎悪をかりたてる手段に用いられ、抜き差しならない状況に陥っている。」<2006年4月14日 朝日新聞>
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第5章1節 イ.イスラーム世界の成立