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トゥール・ポワティエ間の戦い

732年、ピレネーを越えて侵攻したイスラーム軍をフランク王国のカール=マルテルが撃退した戦い。

ウマイヤ朝のイスラーム勢力は西方征服を続け、ついに711年にイベリア半島に侵入し、713年には西ゴート王国を滅ぼした。このイスラームのヨーロッパ侵入はキリスト教世界に大きな脅威となった。

イスラーム勢力、ピレネーを越える

 720年にはピレネー山脈を越えてガリア侵入を開始した。アキテーヌ公のユードはフランク王国に救援を依頼したが、混乱の続いていたメロヴィング朝の王には抵抗を組織する力はなく、その中心となったのは、宮宰であるカロリング家のカール=マルテルだった。カール=マルテルはフランクの騎士を動員し、732年、中部フランスのトゥールとポワティエの間で、7日間にわたりイスラーム軍と戦い、撃退することに成功した。

Episode イスラーム側から見たトゥール・ポワティエ間の戦い

 なお、この戦いは、イスラーム側ではアブド=アッラフマーン=アルガーフィキーの率いるムスリム軍が、ローマがかつて築いた敷石道の近くで多数の死者を出した戦いとして「ビラート=アッシュハダー(殉教者たちの敷石道)の戦い」とよんでいる。キリスト教側は大勝利として記録も豊富だが、イスラーム側は数多くの戦闘のなかの一つとしてしか捉えていず、記録は簡潔である。イスラーム側にはそれ以上の侵入の意図はなく、戦利品を獲て撤退すればよいと考えていたらしい。<『新書イスラームの歴史1』講談社現代新書 p.197 などによる>