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マクデブルク

ドイツ中央部、ザクセン地方の中心都市。大司教座がおかれたが、新教側拠点都市として三十年戦争で破壊された。

 マクデブルク Magdeburg 、日本ではマグデブルクと表記されることが多かったが、ドイツ語で g はクの音に近いので、最近はマクデブルクと表記している(アウクスブルクも同じ)。
 ドイツ中部のエルベ川中流の河畔にあり、東西ドイツ時代には東ドイツ側だった。東フランクザクセン朝初代のハインリヒ1世が、マジャール人の侵攻に対する拠点の一つとして建設し、その子のオットー1世もここで生まれた。そのためマクデブルクはドイツの初期の歴史で重要な都市となった。
 また、東方のスラヴ人に対するキリスト教の布教の拠点でもあったので、オットー1世の時の968年には大司教がおかれた。11世紀のドイツ人の東方植民の拠点でもあった。マクデブルクはドイツ中世の都市として商業も発達し、ハンザ同盟にも加わった。都市法をもった最も古い都市の一つでもあった。

三十年戦争での被害

 マクデブルクが大きな試練を受けたのは宗教改革以降であった。宗教改革以来、ドイツにはルターの新教徒が増え、大司教座のおかれたマクデブルクも世俗化が図られ、プロテスタント都市に変化した。1531年には新教徒のシュマルカルデン同盟に加盟した。
 ドイツ最後の、そして最大の宗教戦争である三十年戦争が始まると、1630年11月から皇帝側のカトリック軍兵士によって半年にわたる包囲攻撃を受け、プロテスタント市民の多くが虐殺され、町は破壊されて「マクデブルクの惨劇」といわれた。三十年戦争の講和条約であるウェストファリア条約ではブランデンブルク選帝侯国ブランデンブルク=プロイセン)に編入された。

Episoce 「マクデブルクの半球」

 近世のマクデブルクでは、1654年に市長であり科学者であったゲーリケが行った「マクデブルクの半球」といわれた実験が有名なできごとである。ゲーリケはそれまで民間に知られていなかった(ガリレイやトリチェリによって証明されていたが)空気に重さがあることを示すために、銅製の半球を重ねて中の空気を抜いて真空にして、双方からそれぞれ8頭の馬に引かせて引き離させようとした。半球はなかなか剥がせず、ようやく離れた途端にドンという大きな音が響いた(急に空気が球内に流れ込んだための衝撃音)ので見物していた人々が驚いた。こうしてゲーリケは空気に重さがあり、我々は空気の圧力の下で暮らしていることをわかりやすく説明することに成功した。
 実はゲーリケは、市長として三十年戦争による破壊からマクデブルクを再建しようと取り組んでいた政治家でもあった。化学実験に興味があり、当時ガリレイとその弟子のトリチェリが水銀柱を使って真空を作りだし、空気の圧力を測定する事を始めたことを知り、それを市民にわかりやすく理解してもらうための実験を考えたのだった。またこのパフォーマンスを行ったのは隣町のレーゲンスブルク市庁舎前であったが、今はゲーリケが市長だったところから「マクデブルクの半球」といわれている。<サトクリフ/市場泰男訳『エピソード科学史Ⅱ』>
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