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マラーノ

中世スペインでのユダヤ人迫害によってキリスト教に改宗した新キリスト教徒(コンベルソ)に対する蔑称で、豚を意味した。

 中世ヨーロッパでは、十字軍運動を契機として、内なる異教徒であるユダヤ人に対する迫害が始まった。イベリア半島ではレコンキスタの進行に伴って、カトリック教会から異教徒であるユダヤ人を排撃する動きが始まった。

イベリア半島でのユダヤ人迫害

 イベリア半島におけるユダヤ人はローマ時代、西ゴート王国時代から定住し、後ウマイヤ朝や北部のキリスト教諸国ではその高い経済力や語学力によって王室の財政や外交にかかわる者も現れ、異教徒との共存が続いていた。ムラービト朝、ムワッヒド朝は原理的なイスラーム教国であったのでユダヤ人を厳しく排除したため、多くは北のカスティリャ王国に逃れた。カスティリャ王国でも当初はユダヤ人は国家財政を支え、高い文化と教養をもち、安定した状態であったが、14世紀に入ると急速にユダヤ人迫害の動きが高まった。その頂点が1391年セビリャで始まったユダヤ人襲撃で、それが全イベリア半島に広がり、約7万ものユダヤ人が殺害された。

ユダヤ教徒追放令

 さらにさらに1492年1月、スペイン王国がイスラームの最後の拠点グラナダを陥落させレコンキスタが終わると、イザベラ女王はカトリックによる国家統一を進めるため、同じ1492年3月31日に、スペイン王国のユダヤ教徒追放令を出した。これは、ユダヤ人に改宗か、出国かの最終決断を迫ったので、その結果、セビリャからも多くのユダヤ人が隣国ポルトガルなどに逃れ、国内に残った者はキリスト教に改宗した。

コンベルソ(改宗者)に対する迫害

 14世紀~15世紀に生まれたスペインのユダヤ人でキリスト教に改宗した「新キリスト教徒」はコンベルソと言われた。コンベルソはキリスト教と同じ扱いを受けるのが前提であったが、中にうわべだけの改宗でひそかにユダヤ教の信仰を守っている偽装改宗者、つまり「隠れユダヤ教徒」がいるのではないかと疑いの目を向けられた。カトリック教会の聖職者や熱心なキリスト教徒は、そのような偽装改宗者を探し出そうと必死になり、国王に異端審問の強化を要求し、すでにスペインでは1481年から開設されていた。

参考 マラーノのニュアンスの変化

(引用)これら「新クリスチャン」と呼ばれた人々の大部分は、形式上、昔の信仰に帰ることを恐れてはいたが、上べだけの洗礼を受けても、実際にはそれによって影響されていなかった。ユダヤ人以外の一般の市民は、呪いの言葉をつぶやきながらユダヤ人を避けて通った。彼らは、これらユダヤ人を遠慮会釈なく「マラノ」(Marrano)つまり「豚」と呼んだ。だがこれらの人々や、その子孫が示した信仰の堅固さは、この言葉が以前もっていた侮蔑的なニュアンスからある程度抜けだし、恐らく人類の歴史でユニークな、ロマンチックな連想をこの言葉に付与したのである。<セーシル=ロス『ユダヤ人の歴史』1961 みすず書房 p.159-160>

第二のディアスポラ マラーノの広がり

 スペインのユダヤ教徒は、1492年の追放令によって、その多くが(十数万となったという)隣国ポルトガルに逃れた。ポルトガルでは当初はユダヤ人の経済力を期待し、受け入れたが、結局スペインとの関係の悪化を恐れた国王が1496年11月、ユダヤ教徒(及びイスラーム教徒)の国外追放令だしたため、安住の地とはならなかった。それでもキリスト教に改宗することでポルトガルに残った者もいた。
 ところが1580年ポルトガルがスペインに併合されるとスペインの厳しい異端審問が及ぶことを恐れたユダヤ人改宗者たちはポルトガルを離れ、オランダのアムステルダムに向かった。このように、ユダヤ人の改宗者=マラーノは宗教裁判の危険のあるイベリア半島から離れ、アムステルダムを初めとするヨーロッパ各地やオスマン帝国領に離散していった。彼ら、イベリア半島からでたユダヤ系の人々はセファルディウム(スペインを意味するヘブライ語セファルディーから派生した)と言われた。  マラーノたちは、自分でクリスチャンと称している限りは(宗教裁判のないところでは)何の障碍もなく移住でき、うるさく監視されることもなかったので、ヨーロッパではフランス、イギリス、オランダ、イタリアに拡がっていった。
(引用)マラノの移民の波が、17世紀の初めから目指していたのは、とりわけこれらの土地だった。そこには、あらゆる身分、あらゆる職業があり、学者、教授、著述業、僧侶、修道士、医師、手工業者、商人、軍人、詩人、政治家などがいた。彼らの中の何人かは貴族にまでなったし、一方、スペインやポルトガルの君主たちは、低地帯諸国(オランダ、ベルギー)やハンブルクにいおて、公然たる異端者であるユダヤ人たちを、はばかることなく彼らの代表とさせた。こうして「マラノ・ディアスポラ」の人々は、まさしく近代的なユダヤ人になっていったのである。<セーシル=ロス『同上書』 p.217>
 このようなマラーノの広がりと活躍が、西ヨーロッパではユダヤ人に対する中世的な差別は無意味であるという状況を作り出し、18~19世紀にはユダヤ人の解放が進み、ゲットーは廃止され、スペイン・ポルトガルでは宗教裁判所も消えていった。しかし、彼らスペイン系ユダヤ人(セファルディ)は、各地でもう一系統のドイツ系ユダヤ人(アシュケナージム)と遭遇したが、彼らとは同じユダヤ人でありながら、言葉も通じなくなっていた。こうしてユダヤ人は大きくいってこの二つの系統が競合しながら、新たなヨーロッパにおけるマイノリティー(少数民族)の世界を作っていくこととなる。

参考 マラーノの系譜

 マラーノの系譜を主として文学者・哲学者でたどると、その豊富な人材を排出していることがわかる。他にも近代ヨーロッパで活躍した、文学者、科学者、政治家、思想家など、改宗ユダヤ人、つまりマラーノの系譜にある人物は枚挙に暇がない。小岸昭氏の『マラーノの系譜』では、よく知られた人物としてはスピノザ、ハインリヒ=ハイネ、カフカ、などを取り上げている。詳しくは同氏の一連の著作を参照すると良いでしょう。
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書籍案内

シ-セル=ロス
長谷川眞・安積鋭二訳
『ユダヤ人の歴史』
1961 みすず書房

小岸昭
『マラーノの系譜』
1994 みすず書房

小岸昭
『離散するユダヤ人』
1997 岩波新書

関哲行
『スペインのユダヤ人』
世界史リブレット59
2003 山川出版社