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異端審問

中世のカトリック教会による異端取り締まりの審問。

 中世ヨーロッパのローマ=カトリック教会では異端は厳しく取り締まられていたが、13世紀のローマ教皇権が最も強大になった時期に、一方でワルド派やカタリ派(アルビジョワ派)の異端が増加したところから、インノケンティウス3世らは対策を強化し、人々には異端告発の義務が課せられ、専門の異端審問官(教皇直属)がおかれ、非公開、弁護なし、密告、拷問という手段で審理された。疑いをかけられるとほとんど有罪となり、最高刑は火刑とされた。この異端審問の先頭に立って活動したのがドミニコ会修道会の修道士たちでった。彼等は熱心で敬虔なキリスト教徒信者であったが、こと異端に対する態度は狂信的で、徹底的な撲滅をめざして活動した。 → スペインのユダヤ人改宗者、コンベルソ  魔女裁判/魔女狩り

Episode 恐るべき異端審問官

 異端審問の制度は、全キリスト教世界に広がったが、もっとも徹底されてたのは15世紀のスペインだった。1483年に成立したスペインの異端審問中央本部長官トルケマダは、在職18年間に9万人を終身禁固に、8000人を火刑に処したと伝えられる。<森島恒雄『魔女狩り』岩波新書>

宗教裁判所

 16世紀に宗教改革が始まりるとカトリック教会は強い危機意識を持ち、教皇パウルス3世は1542年にローマに宗教裁判所が設けられ、異端審問もそこで行われるようになった。1545年から1563年にかけてトリエント公会議後、カトリック教会はプロテスタント側との非妥協的、非寛容な姿勢を強め、対抗宗教改革(反宗教改革)を開始するが、その中心的な役割を宗教裁判所がになうこととなる。
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ノートの参照
5章3節 カ.教皇権の衰退
書籍案内

森島恒雄『魔女狩り』
岩波書店 1970