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オランダ侵略戦争

1672~78年、フランスのルイ14世がオランダに侵入した戦争。第3次英蘭戦争と並行して行われた。

 ルイ14世の戦争の口実は、これより前の南ネーデルラント継承戦争の時に、オランダがイギリス・スェーデンと三国同盟を結成し、フランスの南ネーデルラント侵攻を牽制したことに対する報復とされている。そのねらいは、当時、新興国として海外発展を続けていたオランダ(ネーデルラント連邦共和国)を叩くことにあった。また、オランダ独立戦争および三十年戦争に際しては、スペインや神聖ローマ帝国との関係からオランダを支援したが、独立後は旧教国フランスは新教国オランダを敵視するようになっていた。さらにルイ14世の具体的なねらいは、南ネーデルラントの制覇にあり、スペインを戦争に引き出すねらいもあったと思われる。
注意 この戦争の名称は通常、オランダ戦争と言われているが、それはフランスでの言い方。オランダではただ「侵略戦争」といっている。当然当事国での言い方が異なっている。ここでは実態を表す「オランダ侵略戦争」をとることとした。

第3次英蘭戦争と同時に起こる

 ルイ14世のオランダ侵攻を後押ししたのが、イギリスのチャールズ2世であった。王政復古によって権力を握ったチャールズ2世はカトリックを復興させるかわりにフランスを支援するというルイ14世とのドーヴァーの密約を結んでいた。イギリスはオランダとの貿易を巡る英蘭戦争を既に1652年以来2次にわたって続けていたが、ここで第3次英蘭戦争に踏み切ったのである。こうしてフランスとイギリスが共同してオランダを攻撃するという事態となり、オランダはたいへんな危機となったが、その時オラニエ公ウィレム3世がオランダ総督に復帰し、その国難にあたることになった。

オランダの抵抗とイギリスの脱落

 1672年、ルイ14世はこの時も自らフランス軍を指揮してオランダに侵攻したが、ウィレム3世はマース川の堤防を決壊させ、低地に洪水を起こし、アムステルダムを守るという、洪水作戦を敢行した。そのため、フランス軍は一旦後退した。イギリス軍は海軍がオランダ海軍と戦った。73年、ルイ14世は再び出兵してマーストリヒトを占領、それに対してスペインと神聖ローマ皇帝がオランダと反フランス同盟を結んだ。ところが、イギリスでは議会がチャールズ2世の戦争費用を支出することを拒否、そのため74年に単独講和して離脱した。75~76年は主としてフランスとスペインの海上と陸上での戦争となり、フランス軍はそのいずれでも優勢に戦いを進め、78年にナイメーヘン条約で講和した。その結果、フランスはオランダの独立を承認し、スペイン領南ネーデルラントのフランシュ=コンテなどを獲得した。

ウィレム3世の勝利

 この戦争はフランスではルイ14世の勝利と受け取られて国王としての権威を高めたが、一方のオランダもフランス・イギリスという二強国の侵略から国土を守ったウィレム3世の立場がさらに強くなり、10年後のイギリス名誉革命でウィレムがイギリスに渡りウィリアム3世としてイギリス王を兼ね、ルイ14世の最大の対抗相手となる前提となった。 → ファルツ戦争/アウクスブルク戦争
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ノートの参照
9章1節 エ.ルイ14世の時代