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イギリス=オランダ戦争/英蘭戦争

17世紀後半に展開された海上貿易の覇権をめぐるイギリスとオランダの戦争。

 イギリスのクロムウェルの時から始まる、イギリスとオランダ(ネーデルラント連邦共和国)の前後3回にわたる戦争。イギリスはオランダ独立戦争を援助し、特に1588年にはスペインの無敵艦隊を破るなど、側面からオランダの独立を実現させた。しかし、実質的な独立を達成した17世紀初頭年以降は、オランダはヨーロッパの中継貿易に進出して利益を上げ、また新大陸・東南アジアに進出して、イギリスと対立するようになった。1623年のアンボイナ事件もその一つである。そのような中で特にイギリスの貿易商からオランダ勢力を抑えるよう議会に要望が出され、それが実現したのが1651年のクロムウェルの時に出された航海法であった。これによって両国の対立は戦闘に転化し英蘭戦争となった。英蘭戦争は次ぎの3期に分けられる。

第1次:1652~54年

 ピューリタン革命の最中、クロムウェル政権の下でイギリスが航海法にもとづき、オランダ船に対して臨検捜索権を主張したところから始まる。イギリスは海戦で勝利を得て、航海法を認めさせ、54年のウェストミンスター条約で講和した。

第2次:1665~67年

 王政復古後イギリスのチャールズ2世はさらに植民地の独占を目指して航海法を更新すると共に、64年には新大陸のオランダ植民地ニューネーデルラントを侵略、その中心ニューアムステルダムを占領してニューヨークと改称した。反発したオランダが宣戦布告して1665年に第2次英蘭戦争がおこり、1666年6月にはドーヴァー沖で「四日海戦」と言われる激戦(17世紀最大の海戦と言われた)でイギリス海軍が勝利を占めたが、オランダ海軍も反撃し、一時テムズ川をさかのぼりロンドン港を封鎖して打撃を与えた。しかし、新たなフランスの脅威を感じたオランダが講和を急ぎ、1667年イギリスが南米スリナムを譲る代わりにニューネーデルラントを確保(ブレダ条約)して終結した。

第3次:1672~74年

 イギリスのチャールズ2世がフランスのルイ14世とのドーヴァーの密約により、フランスのオランダ侵略(オランダ戦争)に呼応してオランダと戦った。オランダは総督ウィレム3世(後のイギリス王ウィリアム3世)を中心にしてイギリス・フランス両国と戦い、その侵攻を阻止した。イギリス議会の支持を得ない戦争のため財政難となり、74年に講和した(フランスとオランダの戦争は78年まで続く)。

その後の英蘭関係

 1688年、イギリスのジェームズ2世が議会と対立すると、イギリス議会はその娘メアリーの嫁ぎ先であったオランダ総督ウィレム3世に出兵を要請、それに応えてウィレムはメアリーとともにイギリスに上陸し、協同統治者ウィリアム3世となった。これが名誉革命である。以後、イギリス・オランダは、フランスのルイ14世を共通の敵として、スペイン継承戦争を戦う。なお、英蘭戦争はほとんど海上での戦争に終始し、結果的にイギリス海軍が強化され、次の18~19世紀にイギリスの海上帝国が出現することとなった。
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ノートの参照
9章1節 イ.イギリス革命