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ペテルブルク/サンクト=ペテルブルク/ペトログラード/レニングラード

ロシアのピョートル1世がバルト海に面して建設した港湾都市。1712年からロシア帝国の首都。この都市は、政治情勢によって何度も都市名を変更している。第一次世界大戦が起こりペテログラードと改称。ロシア革命で首都はモスクワに移る。1924年にロシア革命の指導者レーニンの名を冠してレニングラードとなる。ソ連崩壊後、サンクト=ペテルブルクに戻る。

 正式名称はサンクト=ペテルブルク(通称ペテルブルク)。ピョートル1世の守護聖人である聖ペテロに由来し、「聖なるペテロが守りたもう町」の意味(つまり、ピョートル大帝の都という意味ではないことに注意)。ロシア・ロマノフ朝のピョートル1世が、強敵スウェーデンとの北方戦争に際し、バルト海に進出して、西ヨーロッパへの窓口とするために1703年から建設を開始し、1712年にモスクワから遷都してロシアの「ヨーロッパへの窓」となった。
 市の中心には宮廷の置かれた「冬宮」(エルミタージュ。エカチェリーナ2世が収集したヨーロッパ絵画を収蔵するために建設した離宮。エルミタージュとはフランス語で「隠れ家」の意味)など歴史的建造物が多い。その南方に夏の離宮ツァールスコエ・セローがあった。またペテルブルクの面したクロンシュタット湾内の島に、要塞を設け、それが後のバルチック艦隊の基地となった。
 1905年には、日露戦争のさ中、ペテルブルクでツァーリに請願する労働者に対して軍隊が発砲するという血の日曜日事件が起こり、それがきっかけとなって第1次ロシア革命が始まった。

ペトログラードに改称

 1914年、第一次世界大戦が始まるとドイツと戦争することになったので、○○○ブルクというドイツ風の名前をきらい、ペトログラードと改称された。大戦中の1917年3月に冬宮がデモ隊に襲撃されて二月革命(三月革命)が起こり、ロマノフ朝が倒され、さらに十月革命(十一月革命)でソヴィエト政権が成立した。このようにこの都市はロシア革命の主要な舞台となったが、翌1918年に首都がモスクワに移され、政治の中心はそちらに移動した。 → ロシア

レニングラードに改称

 1924年、レーニンが死去すると、この革命の始まった都市の名を、革命の指導者の名前を冠してレニングラードとした。ソ連時代には首都モスクワに次いで、経済と文化の中心都市として繁栄したが、第二次世界大戦中にはドイツ軍の猛烈な攻撃を受け、激しい抵抗によって占領を免れた。

サンクト=ペテルブルクに戻る

 1970~80年代のソ連社会の停滞の打破に向けてペレストロイカが開始されたが、東欧諸国の改革から火がついた社会主義圏の動揺は遂にソ連にも及び、1990年にソ連邦が崩壊した。
 1991年9月6日、ロシア共和国の最高会議幹部会はレニングラード市の名称をロシア革命前のサンクト=ペテルブルグに変更することを決定した。6月に行われたロシア大統領選挙に併せて改名の賛否を市民に問い、半分以上の賛成を得ていた。元々は、ピョートル大帝の守護聖人ペテロの名をドイツ語風にあらわしてサンクト=ペテルブルクとし、19世紀前半から1914年まで使われた。
 この後、第一次世界大戦に際してロシア語風にペテログラードと改められ、革命後の1924年に革命の指導者レーニンの名を冠してレニングラードとなった。ソ連では旧来の地名をロシア革命の功労者やソ連の政治家、芸術家の業績を讃えてその名を付けることがよくあったが、ソ連崩壊に伴ってそれらの都市名は一斉に旧名に戻された。レニングラード以外に次のような例がある。スヴェルドロフスク(1918年憲法制定会議で活躍したスヴェルドローフを記念)→エカテリンブルク(エカチェリーナ女王の名による)、ゴーリキー(『母』などで知られるソ連の作家)→ニジノノヴゴロドなど。なお、スターリングラードはスターリン批判が行われた後の1661年にヴォルゴグラードに改められている。
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ノートの参照
9章1節 カ.北方戦争とロシア