印刷 | 通常画面に戻る |

イエナの戦い

1806年10月、プロイセンが、ナポレオンのフランス軍と戦って敗れた戦い。

一連のナポレオン戦争の一つ。アウステルリッツの戦い(三帝会戦)でオーストリア・ロシアの連合軍を破ったナポレオンが、1806年にライン同盟を結成してドイツ西南部を制覇した。プロイセンは1795年以来、対仏同盟には加わっていなかったが、フランスの進出を警戒して対仏強硬論が台頭した。同年、ロシアとの同盟の上で、プロイセンは対仏宣戦布告し、中部ドイツのイエナとアウエルシュテットでナポレオン軍と戦った。しかし、ナポレオン軍に完敗し、10月にナポレオンはプロイセンの首都ベルリンに入城した。ヨーロッパ大陸の大半を制圧したナポレオンは、翌11月ベルリンにおいて、大陸封鎖令(ベルリン勅令)を発し、イギリス攻略をめざすこととなる。
 翌1807年、ナポレオンはプロイセン、ロシアとの間でティルジット条約と結び、プロイセンはエルベ東岸とポーランドを失い、ロシアは大陸封鎖令の遵守を約束させられる。イエナの戦いに敗れたプロイセンは大きな衝撃を受け、国内改革の必要を痛感し、プロイセン改革が始まる。
印 刷
印刷画面へ
ノートの参照
第11章3節 オ.ナポレオンの大陸支配