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大(グレート)ブリテンおよびアイルランド連合王国

1801年にイギリス(イングランド)がアイルランドを併合して成立した連合王国。

 アイルランド併合によって、1801年1月1日をもって成立した、イングランドスコットランドアイルランドの連合王国。1800年のピット内閣の時に制定された合同法によって定められた。この合同によって、イギリスの国旗に「ユニオン・ジャック」が用いられるようになった。イギリスのこの前の正式国号は、1707年のイングランドとスコットランドが合同した時の「大ブリテン王国」であった。
 なお、1922年、北アイルランドを除いたアイルランドが独立し、アイルランド自由国が成立したため、それ以降、現在までは「大ブリテンおよび北アイルランド連合王国」(United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)というのが正式国名である。 → イギリス(7)

イギリス国号の重要変更

 ピットは1800年、「大(グレート)ブリテンおよびアイルランド連合王国法」を成立させた。このときに中世の百年戦争でのエドワード3世以来のイギリス君主が「フランス王」を名乗る伝統を廃して、対フランス徴発要因を除いた。「第一次百年戦争の戦後処理が、ようやく第2次百年戦争の最終段階に実現したわけである。
 1453年にボルドーが陥落してイングランド王はアキテーヌを失い、百年戦争は終結した。この時休戦協定が結ばれたわけではないので、その後もイギリスのフランス出兵はないではないが、実質的にフランスから追い出された。にもかかわらず、イギリス王は「イングランド王にしてフランス王」という称号を1800年まで保持している。フランスにおける橋頭堡カレーを1558年に失ってもそうであった。イギリス領の名残はノルマンディ半島沖の海峡諸島(ジャージー、ガーンジーなど)だけになっている。
 また1800年にはエリザベス女王以来の「、等」もいまや無用なのでやめた。1544年にヘンリ8世は君主の正式名称を、「神の加護によるイングランド、フランス、アイルランドの王、信仰の擁護者、地上における国教会の首長」と定め、これはエドワード6世にも受けつがれた。ところがエリザベス女王が即位するにあたって、ピューリタンの指導者ノックスは「聖書は女の君主も女の教会の首長(至上の長)も認めていない」と公言した。そこで女王の忠臣ウィリアム・セシル(バーリ卿)は一計を案じ、「神の加護によるイングランド、フランス、アイルランドの女王、信仰の擁護者、等(etc.)」という称号を考案した。「、等」とすることで頑迷な男件論者をなだめ、同時に国教会の首長であることを示唆したのだった。この国王の称号は、1800年まで歴代の国王が踏襲することとなっていた。<近藤和彦『イギリス史10講』2013 岩波新書 p.64,96,204>
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ノートの参照
第12章2節 ウ.ヴィクトリア時代