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ユニオン・ジャック/イギリス国旗

イギリス(グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国)の国旗。イングランド・スコットランド・アイルランド三国の連合国家形成に伴って作成された。現行のものは1801年から使用されている。


現在のイギリス国旗
 1801年の「大ブリテンおよびアイルランド連合王国」成立に伴って制定されたイギリス国旗。ユニオン・ジャック(Union Jack)はイングランド、スコットランド、アイルランドの旗を組み合わせて作られたもので、連合王国であることを示している。まず、1277年にイングランド王国の国旗となった聖ジョージの旗(白地に赤い十字)に、1603年スコットランド王国からジェームズ1世を迎えたときに、その聖アンドリューの旗(青地に白の斜め十字)を組み合わせた。さらに1801年のアイルランド併合の時、その聖パトリックの旗(白地に赤の斜め十字)を加えて、今日のユニオン・ジャックになった。
 なお、ジャックとは人名ではなく、船につける旗章のこと。陸上で掲げる場合は、ユニオン・フラッグというのが正しい。厳密に言えば国旗として法的に定められたものではないが、19世紀には、ユニオン・ジャックを掲げたイギリス国籍の艦船が世界中で活動した結果、事実上のイギリス国旗として扱われるようになった。さらにユニオン・ジャックは「大英帝国」の象徴として、世界各地の植民地のイギリス植民地に翻った。そして、イギリスの自治領から独立したカナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどでも国旗の竿側上部(この部分をカントンという)に描かれていた。 → イギリス

ユニオン・ジャックの制定

 ユニオン・ジャックが作られた経過を見ると、現在にギリスという国家の成り立ちとその歴史を知る上で興味深い事実が浮かび上がってくる。中世においては国王や諸侯はそれぞれ紋章を用い、様々な形の旗(バナー、スタンダード、フラグ、ジャックなどなど)を用いていたが、国家として国旗を定めるということはなかった。しかし十字軍時代に、各国の軍隊が共同作戦をとるようになったことを受け、イギリスやフランス、神聖ローマ皇帝がそれぞれ国家としての旗を持つようになった。しかしイギリスはイングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドがそれぞれ別個の国家を形成していたので、それぞれが国旗を持つようになった。

セント・ジョージ旗

・イングランドのセント・ジョージ旗 イングランドは白地に赤十字(レッド・クロス)のセント・ジョージ旗が王章などに用いられていた。聖ジョージはトルコの人で303年ごろ、ディオクレティアヌス帝の弾圧の時に殉教して聖人に列せられた。伝説上の人物でとくに「龍退治」で有名。イングランドに来た証拠はないが、古くから信仰され、守護聖人として崇拝されるようになり、その象徴であるレッド・クロスが、1277年にエドワード1世によって国旗に採用された。エドワード1世はこのセント・ジョージ旗を掲げ、スコットランドやウェールズに盛んに軍事遠征を行った。

セント・アンドリュー旗
・スコットランドのセント・アンドリュー旗 スコットランドでは「青色地に白いの斜め十字」の、セント・アンドリュー旗がいつ頃から用いられていたかははっきりしない。聖アンドリュースはガリラヤの漁師からキリストの使徒となり、伝道の途中、紀元69年にギリシア南部で殉教した人物で、その処刑の時に使われた十字架が斜め十字の形だったことから、それが聖人の印とされるようになったという。8世紀ごろ、スコットランド王の頭上の青空に白い斜め十字が現れ、戦いに勝ったことから、聖アンドリューがスコットランドの守護聖人となった。その後、セント・アンドリュー旗は、スコットランドの象徴として定着し、長く用いられた。

1606年のユニオン・フラッグ
・1603年 最初のユニオン・フラッグ 1603年、エリザベス1世が継嗣のないまま死去したため、イングランド王位はスコットランドのジェームズ6世が兼ね、ジェームズ1世となった。この「同君連合」(personal union)の成立によって、国王の紋章、国旗をどうするかが問題となった。特に海上の艦隊旗は二国に共通の旗を使わなければ混乱が生じるという恐れが出てきた。しかも両国が同じ国王に収められていることと同時に、両国のバランスから言えば、現実的なイングランドの優位を示しつつ、両者に不満が生じ内容にしなければならなかった。新たな統一旗の試作がいくつか現れたが、結局、1606年にイングランドのセント・ジョージ旗の下にスコットランドのセント・アンドリュー旗を重ねるという形が最初のユニオン・フラッグとして落ち着いた。これは両国旗がそのまま採り入れてバランスをとりつつイングランドを上にしてその事実上の優位も示した点で最上のものとなった。こうして最初のユニオン・フラッグは海洋進出を活発にしていたイギリス海軍の艦隊旗として用いられるようになり、艦隊旗を意味するユニオン・ジャックと呼ばれるようになった。ユニオン・フラッグはピューリタン革命で成立した共和国コモンウェルスの時代は用いられなかったが、王政復古と共に復活した。さらに、1688年の名誉革命後、イギリスとしての国民国家の形成が進み、チューダー朝最後のアン女王の時の1707年にはスコットランドを実質的に併合して大ブリテン王国となった。

セント・パトリック旗
・アイルランドのセント・パトリック旗 1801年、大ブリテンおよびアイルランド連合王国が成立したことによって、アイルランドを組み込んだ新たな国旗(その他の王章、国璽なども)を作成する必要が出てきた。アイルランドはそれ以前にヘンリ2世クロムウェルの軍事遠征で事実上イングランドの支配を受けていたが、法的に完全な併合には至っていなかったので、国旗に反映することはなかった。王章にはアイルランドを示す竪琴が書き入れられていた。1801年に採り入れられた一般にセント・パトリック旗といわれる「白地に赤の斜め十字」は実はそれまで存在せず、このとき考案された図案に、4世紀にアイルランドにキリスト教を布教したことで知られ、アイルランドの守護聖人とされていた聖パトリックの名をあてたに過ぎなかった。

1801年のユニオン・フラッグ
・1801年 ユニオン・フラッグ 新たにアイルランドの旗として作られたセント・パトリック旗はそれまでのユニオンフラッグと組み合わせることができるように赤の斜め十字とされた。しかしそれを組み合わせるにあたって難問は、イングランドよりは格下であることを示し、しかもスコットランドとは同格であること、をいかにして示すか、という点だった。それを解決したのが、カウンターチェンジの技法である。それは白(スコットランド)と赤(アイルランド)の斜め十字を同じ幅とし、その上下関係を旗の左半分と右半分を逆にすることによって、両者が同等な扱いとされるという技法である。ユニオン・フラッグをよく見ると、斜めの線の赤白の置き方に左右の違いが見られるのはそのためである。このようにユニオン・フラッグ(ユニオン・ジャック)はイギリスがイングランド・スコットランド・アイルランド(北アイルランド)(ウェールズの象徴は国旗には現れていない)からなる「連合王国」の国旗として、そのバランスをとることを巧妙に工夫したデザインであることが判る。

ユニオン・ジャックの危機

 アイルランド自由国は1922年に独立し、連合王国にとどまったのはその一部の北アイルランドのみとなり、北アイルランドも将来完全に独立することもあり得るので、ユニオン・ジャックから赤い斜め十字が消えるかも知れない。1949年にイギリス連邦を離脱したアイルランド共和国は独自の三色旗を国旗とした。さらに、スコットランドの分離独立を求める動きも1990年代から激しくなっており、2014年9月の分離独立を問う住民投票に際しては、青地に白い斜め十字のスコットランド旗が打ち振られていたことは記憶に新しい。
 旧イギリス領植民地から独立した諸国でも、国旗からユニオン・ジャックをはずす動きが出てきた。まず1965年にカナダ連邦がユニオン・ジャックを外し、カエデの旗に変更した。オーストラリア連邦ニュージーランドでも共和制への移行と国旗の変更を求める動きも起こっている。ニュージーランドでは新国旗案を国民から募集し、2016年3月、最終案と現行国旗の間で国民投票が行われた結果、現行国旗の支持は56.6%で、かろうじて維持された。21世紀の今日、ユニオン・ジャックは危機を迎えていると言える。
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ノートの参照
第12章2節 ウ.ヴィクトリア時代
書籍案内

森護
ユニオン・ジャック物語
1992 中公新書

ユニオンジャックだけでなく、国王の徽章や貨幣の図柄の変化などをことこまかに述べており、興味深い。