印刷 | 通常画面に戻る |

アイルランド自治法案

19世紀のイギリス議会で何度か審議され、上院の反対で否決された。

 19世紀のアイルランド問題が深刻化する中、1870年代から20世紀初頭にかけて、グラッドストン自由党内閣のもとで模索された、アイルランドに自治を付与する法案。数回にわたって議会の反対に遭い、ようやく1914年に成立する。
 青年アイルランド党やフィニアン運動が挫折した後、議会の中でアイルランドの自治権を要求するアイルランド国民党が運動の中心となった。グラッドストン自由党内閣は、国民党が自由党と保守党に続く第三の勢力を持つようになると、議会運営上も国民党の協力が必要であるとして自治を認める法案を作成した。第1回自治法案(1886年)はアイルランドのダブリンに議会を作ることを認める法案であったが、アイルランド内の産業資本家や自由党内のジョセフ=チェンバレンなどイギリスとアイルランドの合同(ユニオン)の維持を主張するグループが自由統一党(統一主義=ユニオニスト)を結成して反対したため成立しなかった。
 第2回自治法案(1893年)は第4次グラッドストン内閣で、アイルランドに議会を設けるほか、イギリス議会にも議員を送るという妥協的な内容で下院では可決されたが、上院の否決で成立しなかったため、グラッドストンは辞任した。その死(1898年)後、1912年にアスキス自由党内閣が第3回の自治法案を提案、内容はほぼ前回と同じで、再び上院の反対で否決された。しかし、議会法の規定で3会期連続で上院で否決されたら下院の通過のみで成立するという条項により、アイルランド自治法は1914年に成立する見通しとなった。しかし、同年、第一次世界大戦が勃発したため、その実施は延期されることとなった。 → アイルランド
印 刷
印刷画面へ
ノートの参照
第12章2節 ウ.ヴィクトリア時代