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アイルランド自治法

1914年、イギリス議会で可決されたが第1次大戦勃発で実施延期された。

 自由党のグラッドストンが意慾を示したアイルランド自治法案は何度か提案されながら、その都度議会で否決されてきた。自由党内でも産業資本家の利益を代弁するジョゼフ=チェンバレンらがアイルランドに対する自治付与に反対し、そのため自由党は分裂し、チェンバレンらは自由統一党を結成した。統一とはイングランドとアイルランドの統一(ユニオン)を維持すべきであるという主張を意味している。
 グラッドストンの死後、1912年にアスキス自由党内閣が第3回の自治法案を提案、内容はほぼ前回と同じで、再び上院の反対で否決される。

アイルランド自治法の成立と延期

 アイルランド自治法はようやく1914年に可決されたが、おりから第一次世界大戦が勃発、実施は戦争終結まで延期されることになった。第一次世界大戦中の1916年にシン=フェイン党が自治法の実施延期に反発してイースター蜂起を行い、さらに19~21年の英・アイ戦争が勃発した。

北アイルランドの分離

 イギリスのロイド=ジョージ挙国一致内閣が1920年にアイルランド統治法を成立させ、北アイルランドを除く26州に自治を認め、21年イギリス=アイルランド条約が締結されてようやく自治が実現することとなった。しかしシン=フェイン党はその受け入れをめぐって分裂し、内戦に突入、選挙で受け入れ派が多数となってようやく1922年にアイルランド自由国が成立した。しかし、プロテスタントが多く、工業化が進んでいるためにイギリスと一体である方が有利であるとする人々の多い北アイルランドはイギリスとの連合王国に留まった。 → アイルランド問題
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ノートの参照
第14章1節 イ.イギリス