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日朝修好条規/江華島条約

1876年、日本が朝鮮に強要した不平等条約。朝鮮王朝はこれによって開国した。

 江華島事件の結果、1876年に日本の明治政府の圧力のもとで朝鮮王朝(李朝)の閔氏政権との間で締結された通商条約。江華条約ともいう。日朝修好条規に基づき、同年中に付則や貿易規則が調印されたがそれらを含めて朝鮮はこの不平等条約の下で開国することとなった。朝鮮側が認めたことは次のようなものである。 → 朝鮮の開国
 1)外交使節の首都派遣。              2)釜山ほか二港の開港と自由貿易。
 3)開港場における居留地の設定。          4)領事による居留民の管理。
 5)開港場における領事裁判権。           6)朝鮮沿海の測量・海図作成の権利。
 7)開港場から四キロ以内への内地旅行、通商権。   8)開港場における日本通貨の使用。
 9)朝鮮からの米国輸出の自由。           10)輸出入税の免除(無関税)。

Episode 黒田清隆とガトリング銃

 1876(明治9)年、朝鮮に対して開国を迫った日本の明治政府代表、弁理大使黒田清隆は、軍艦日進以下6艦を率いて来航し、江華島に儀仗兵約200名と、ガトリング砲4門を装備した砲兵45名とともに上陸した。軍艦日進は佐賀藩がオランダから購入した1468トンの艦船で明治政府に献上されたものであった。またガトリング砲とは1862年にアメリカで発明された、6本の銃身を人力で回転させながら1分間に200発程度発射できる、最新式の兵器であった。日本は最新の西洋式軍備で、朝鮮に対して開国を迫った。それは4隻の艦船を率い、銃を持たせた250名の儀仗兵を久里浜に上陸させたペリーと同様であった。ガトリング砲は日本では戊辰戦争で長岡藩や薩摩藩が使用したが、初めて軍事的近代化の遅れた地域に向けて用いられたのは1874年、79年のイギリスのアフリカのアシャンティ人やズールー人との戦闘であった。日本がこの近代的な武器で朝鮮を威嚇したのは欧米と時差はなかった。<鈴木淳『日本の歴史』20 2002 講談社 p.122-125>  
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ノートの参照
第13章3節 エ.東アジア国際秩序の再編