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朝鮮の開国

鎖国政策を採っていた朝鮮王朝が1876年の日朝修好条規で開国した。

朝鮮王朝(李朝)は1637年以来清朝より朝鮮国王として封ぜられ、清を宗主国として臣下の例をとっていた。日本(江戸幕府)とは1607年に国交を回復し、湘軍の代替わりごとに朝鮮通信使を江戸に送ることを続けていた。(幕府の使節が都の漢城にはいることは許さなかった。)それも1811年以後は両国の財政難から行われなくなっていた。その他の国に対しては小中華思想の影響もあって鎖国政策をとっていた。

日朝修好条規による開国

 1830年代から強まった欧米列強の開国要求に対しては、朝鮮王朝は清朝を宗主国としているので独自には交渉できないとして拒絶し、大院君政権は攘夷活動を行った。その後、明治維新を達成した日本が、強く開国を迫るようになり、1875年の江華島事件を口実に、翌76年に日朝修好条規が締結され、開国することとなり、釜山など三港が開港されることとなった。
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ノートの参照
第13章3節 エ.東アジア国際秩序の再編