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平和についての布告

1917年11月、レーニンが提唱した無賠償・無併合・民族自決を原則とした即時停戦提案。

 1917年11月8日、レーニン全ロシア=ソヴィエト会議で提案し、承認された布告。第一次世界大戦の交戦国に対し、「労働者・兵士・農民の代表者のソヴェートに基礎をおくところの、労働者農民の政府ほ、全交戦諸国の人民とその政府にむかって、公正で民主的な平和のための交渉を、即時開始することな提言する」とし、「無賠償(敗戦国から賠償金を取らない)、無併合(敗戦国の領土・国民の併合をしない)による即時平和」を実現するための交渉をただちに開始することを呼びかけた。あわせて民族自決の原則と、従来のあらゆる秘密条約を廃棄し、秘密外交を否定することを声明した。
 これはドイツとの戦争を継続している連合国(協商国)およびアメリカに衝撃を与えた。連合国は11月末、パリで対策を協議し、アメリカ(ウィルソン政権)やイギリスはソヴィエト政権を承認し、新たな戦争目的を表明することを主張したがフランス(クレマンソー)、イタリアが強く反対し、結局、連合国としてはソヴィエト政権を承認せず、「平和に関する布告」と秘密条約の破棄には無視の態度となった。また、ソヴィエト政権のドイツとの単独講和に対しても、イギリスとフランスは12月に英仏秘密協定を結んで、対ドイツ戦を維持するために干渉することで合意した。さらに英仏は、シベリア東部に関しては地理的に近いアメリカと日本に干渉を要請した。こうして対ソ干渉戦争が開始され、シベリア出兵が準備されることとなった。
 一方、ドイツは直ちにソヴィエト政権の呼びかけに答え、停戦の交渉に入った。1917年12月15日にブレスト=リトフスクで休戦条約(講和ではない)に調印し、東部戦線では停戦が実現した。  アメリカ大統領ウィルソンは、ソヴィエト=ロシアの「平和についての布告」に対抗し、新たな戦争目的を表明する必要があると考え、翌年1月「十四ヵ条の原則」を発表した。
 レーニンはこの提言が受け入れられず、全面的な停戦に至らなかったため、ロシア帝国が関わった秘密同盟をすべて暴露し、その後の秘密外交の禁止という新外交の原則への移行をもたらした。
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ノートの参照
第15章1節 エ.ロシア革命