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アボリジニー

オーストラリア大陸の先住民。独自の文化を有したが白人入植者によって殺害され、圧迫された。

 オーストラリアの先住民をアボリジニーというが、 aborigine とは英語で「原住民」を意味する普通名詞であり、人種名ではない。一般的にオーストラリアの先住民意味する言葉として用いられれ、歴史的には侮蔑的なニュアンスを伴う呼称であったが、現在ではそうした意味合いは薄れ、彼ら自身も自らをそう呼んでいる。
 アボリジニーは5万年前頃、東南アジアからカヌーなどで渡来し、土器を造らず、農耕や牧畜をはじまることなく、ごく最近まで独自の狩猟文化をつづけていた。ブーメランや投槍器など独特の狩猟道具を発達させ、多数の岩絵を残している。多くの部族に分かれ言葉も250ぐらいに分かれていた。18世紀のイギリス人の入植時には大陸のすべてに広がっていたが、次第にヨーロッパからの渡来人によってその生活を圧迫され、人口も激減、現在では内陸の一部に追いやられている。<海部陽介『人類のたどってきた道』2005 NHKブックス p.190-216>

オーストラリア政府の謝罪

 またオーストラリア政府はアボリジニーの同化政策を進め、白人との混血も進んだ。現在ではアボリジニーの人権を認めさせる運動も活発となり、1999年、オーストラリア政府は、独立以来のアボリジニー政策の誤りを認め、謝罪した。 

アボリジニ虐殺

(引用) オーストラリアは長い間、囚人の流刑地以上には考えられていなかった。にもかかわらず、五〇〇余りのアボリジ二部族は一掃されようとしていた。アボリジニ=数千年に及ぶ独立状態の中で定住家屋も持たなければ農業も発達させなかった、まったく原始的な人々というレッテルを貼ることが、一部の白人入植者の利害と一致していた(アフリカ人の果たした文化的な功績を否定したのと同様に)。たしかに、砂漠地域でアボリジニが遊牧と採集生活をしていたことは事実である(それ以外の方法では暮らしていけなかった)。しかし、もっと肥沃な地域では、彼らも村を作り、作物を育て、牧畜を営んでいた。<クリス・ブレイジャ/伊藤茂訳『世界史の瞬間』2004 青土社 p.169>
 1788年、イギリスの囚人がはじめてオーストラリアに到着し始めるとアボリジニは最初に追い出され、虐殺され、それ以来、イギリス人はこの非常に魅力的な土地を占有するようになった。アボリジニは内陸部に追いやられるより、殺されてしまう方が多かった。
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ノートの参照
第14章2節 イ.太平洋地域の分割化
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クリス・ブレイジャ
/伊藤茂訳
『世界史の瞬間』
2004 青土社