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ティラク

インドの国民会議派を指導し四大綱領採決に尽力した独立運動家。

バール=ガンガーダール=ティラク Tilak 1856-1920 1905年のベンガル分割令反対闘争を指導して、パールらとともに国民会議派を穏健な民族運動から急進的な独立運動に転換させ、06年のカルカッタ大会四綱領の採択に力を尽くした。しかし翌年、独立運動の激化を恐れたイギリスがインド統治法の改正を示して懐柔を図り、穏健派がそれを受け入れようとしたため、ティラクら急進派は国民会議派を脱退した。さらに1908年にイギリスの官憲に不当逮捕され、1914年までビルマのマンダレー監獄で獄中生活を送り、出獄後もスワラージ(自治獲得)を大衆運動の目標に設定し、イギリスに対する民族解放の戦いを続けた。1919年にイギリスに渡り、第一次世界大戦後の民族主義の高揚とロシア革命から強い影響を受けたが、帰国後は労働運動にも取り組んだが、翌20年に志し半ばで死去した。

ティラクの思想

 ティラクは民衆から「ロカマーニャ(民衆に愛される人)」と呼ばれ、敬愛されていた。彼の運動の根底にあるのは、インドの伝統的な宗教であるヒンドゥー教の「神の歌」とされる『バガヴァッド=ギーター』(『ラーマーヤナ』の一部を構成する)であり、そこに示される唯一の真理への帰依という信仰心であった。その点はガンディーの運動とも共通しており、単に近代的な意味の民族独立を目指す反植民地運動ではなく、インドの伝統宗教に依拠する復古主義的な側面が強かった。

ティラクのスワデーシの呼びかけ

 インド総督カーゾンは「会議派を静かに葬ってやる」ことを任務と考え、ベンガル分割令を1905年10月16日に強行した。インド国民会議派の急進派指導者であったティラクは「大衆に、スワデーシ運動、すなわちイギリス製品をボイコットして、国産品を愛用するよう呼びかけた。チャテルジーの愛国歌“バンデ・マータラム”が、闘いのスローガンとして各地の集会や行進で高らかにうたわれた。10月16日には、カルカッタでは市場や商店は閉ざされ、交通はストップして、市をあげてこの記念すべき日を喪に服した。」<森本達雄『インド独立史』1973 中公新書 p.85>
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ノートの参照
第14章3節 オ.インドでの民族運動の形成