印刷 | 通常画面に戻る |

ジンナー

インドのイスラーム教徒による独立運動の指導者。インドと分離独立した後のパキスタン独立で初代総督となる。

 イスラーム教徒のインド独立運動の指導者で、始め国民会議派に属したが、1913年から全インド=ムスリム連盟に加わり、16年からはその議長となった。はじめカリフ擁護運動であるヒラーファト運動を通じてガンディーらの国民会議派と協調したが、その運動が後退してからは、次第にガンディーの非協力運動と距離を置くようになり、20年代には協力関係は消えた。

パキスタン決議

 1935年頃から、イスラーム教徒の独立国家実現のためにその結集を呼びかけ、1940年3月のムスリム連盟ラホール大会で歴史的な演説(パキスタン決議)を行い、後のパキスタン建国の基礎を作った。それは、インドの北西部(パンジャーブ地方)や東部(ベンガル地方)のようなムスリム多住地域は「独立諸国家」を建設すべきである、という「二民族論」を提唱、ガンディーやネルーらの国民会議派が「一つのインド」(その中でのヒンドゥーとムスリムの連邦制)に固執する姿勢を厳しく批判するものであった。

パキスタン初代総督となる

 また、第二次世界大戦では国民会議派がイギリスに対するインドを立ち去れ運動を展開して反英闘争を展開したのに反対して、戦争をファシズムとの闘いと規定してイギリスを支援した。ジンナーはネルーとの協議をたびたび行ったが、歩み寄ることはできず、イギリスが最終的に分離独立を打ち出すとそれを受け入れた。こうしてインドの分離独立が確定して、1947年8月14日にしてパキスタンがイギリスの自治領として独立した。ジンナーはその初代総督(自治領としての独立だったので総督と称した)となったが翌年病死した。パキスタン建国の父とされる。