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十四カ条/14ヵ条の原則

第一次世界大戦の講和に向けてアメリカ合衆国大統領ウィルソンが1918年1月に発表し、戦後の国際政治の原則とされた。

 第一次世界大戦が開始されると、アメリカ合衆国のウィルソン大統領は、当初中立を維持していた。1916年に再選されたときも中立維持を公約した。しかし、ドイツが無制限潜水艦攻撃を開始したことを受け、1917年4月に議会の同意を得てアメリカの第一次世界大戦参戦に踏み切って、連合国(協商国)側の一員となった。アメリカの参戦は大戦の戦況に決定的な影響を与え、連合国側が優勢に転じた。

「平和についての布告」に対抗

 同じ1917年に3月にロシア革命が始まり、11月にはソヴィエト政権が成立して、レーニンが「平和についての布告」を発表し、即時講和・秘密外交の廃止を宣言、ドイツと単独講和の交渉が始まるという協商国側にとって不利な展開となったため、ウィルソン大統領は、1918年1月8日に議会で演説、次の「14ヵ条の原則」(the Fourteen Points)を発表し、戦争目的の明確化と戦後処理の方向性を示した。ウィルソンの提言は協商国に支持され、戦争終結の機運が醸成され、1918年11月に休戦協定が成立した。翌1919年にはパリ講和会議が開催され、ウィルソンの14ヵ条は戦後秩序の枠組みとなり、ヴェルサイユ条約にも取り入れられていく。休戦と講和の実現に貢献したことによって、1919年、ウィルソン大統領はノーベル平和賞を受賞した。

十四ヶ条の内容

  1. 講和交渉の公開・秘密外交の廃止
  2. 海洋(公海)の自由
  3. 関税障壁の撤廃(平等な通商関係の樹立)
  4. 軍備縮小
  5. 植民地の公正な処置
  6. ロシアからの撤兵とロシアの政体の自由選択
  7. ベルギーの主権回復
  8. アルザス=ロレーヌのフランスへの返還
  9. イタリア国境の再調整
  10. オーストリア=ハンガリー帝国内の民族自治
  11. バルカン諸国の独立の保障
  12. オスマン帝国支配下の民族の自治の保障
  13. ポーランドの独立
  14. 国際平和機構の設立
 以上の内、(1)~(4)は国際協調、(5)~(9)は国境問題の調整、(10)~(13)が民族自決、(14)が戦後処理の具体的提案(国際連盟)にあたる。

ヴェルサイユ条約へ

 この講和提案を受けて、1918年11月11日に停戦が実現し、第一次世界大戦が終結した。次いで翌1919年、講和会議としてパリ講和会議が始まるが、このウィルソンの提案した新しい国際政治の原則(新外交)は、イギリス・フランスの主張する旧来の外交原則(旧外交)と激しく対立しながら、大筋において実現にこぎ着け、ヴェルサイユ条約が成立する。 → アメリカの外交政策
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