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アルザス・ロレーヌ/エルザス・ロートリンゲン

現フランス領のライン中流の西岸。フランスとドイツが長く領有権を争った。18世紀後半までにフランス領となる。

 アルザス Alsace 地方(ドイツ名エルザス)はライン川中流の西岸で、その北のロレーヌ Lorraine 地方(ドイツ名ロートリンゲン)とともに、豊かな農作物、鉄・石炭の産地であり、フランスとドイツの1000年にわたる争奪戦が繰り広げられた地域である。フランク王国が分裂したメルセン条約では、東フランク=ドイツの領土とされたが、その後、西フランク=フランスはこの地の奪回をめざした。
 17世紀の三十年戦争ではルイ13世とリシュリューの積極的な介入策によってフランスが占領、ウェストファリア条約でその大部分の原則的領有が認められた。

フランスの領有

 ルイ14世は、「自然国境」説を唱えて、ライン西岸の領有を主張し、北東部への侵略戦争を続けた。その結果、ファルツ戦争の講和条約である1697年のライスワイク条約によってシュトラスブルク(ストラスブール)を中心としたアルザス地方を併合した。
 ロレーヌは神聖ローマ帝国の領邦の一つロレーヌ公国として、オーストリア=ハプスブルク帝国の一部であったが、1733年からは始まったポーランド継承戦争(ルイ15世がポーランド出身の王妃の父をポーランド国王にしようとしてオーストリアと戦争になった)の時、フランス軍が占領した。ロシアがオーストリア支援に動いたので講和を急いだフランスは、ルイ15世をポーランド国王にすることをあきらめ、ロレーヌ公とすることで妥協した。その後、1766年にロレーヌ公が亡くなり、取り決めによってロレーヌはフランス領となった。人種的にはドイツ系住民が多いが、文化的にはフランス文化の影響の強い地域といわれる。

アルザス・ロレーヌ/エルザス・ロートリンゲン

1871年、普仏戦争でフランスからドイツに割譲された。最一次世界大戦でフランスに返還される。

 フランス革命・ナポレオン時代を通してフランス領として続き、ウィーン会議でもかろうじてフランスは領有を維持したが、第二帝政末期にナポレオン3世が、普仏戦争に敗れ、講和を急いだ臨時政府が1871年5月のフランクフルト講和条約で、両地方の大部分をドイツ帝国に割譲した。ドイツはこの地の鉄と石炭で、産業革命を達成することになる。

普仏戦争後の状況

 ビスマルクはその豊かな地下資源と、南ドイツに対する防衛の見地から、アルザスとロレーヌの割譲を要求し、それを実現し、それは彼の大きな勝利とされたが、この地に対するフランスの奪還を目指す思いはその後のドイツ・フランス間に重くのしかかる。
 フランスはその奪還をめざし、第一次世界大戦でドイツが敗北したため、ヴェルサイユ条約によってフランスに戻された。このように、常にフランスとドイツの領土問題で係争地とされ、複雑な変遷を遂げたてきたが、現在はフランス領として続いており、中心都市ストラスブールは重要な工業そして発達しているとともに、ヨーロッパ連合(EU)の欧州議会本会議場が置かれている。

Episode 『最後の授業』の真相

 19世紀後半のフランスの作家アルフォンス=ドーデの『月曜物語』の冒頭の一編「最後の授業」は、普仏戦争でアルザス地方がドイツ領に編入されたときのことを題材にしている。明日からはドイツ語で授業をしなければならないという最後の日、フランス語の先生は子供たちにフランス語は世界で一番美し言葉だと教え、忘れないようにと説く。そして最後に黒板に大きく「フランス万歳!」と書く、という話で、かつては日本の教科書にもよく見られたが、最近はすっかりみられなくなってしまった。それは、このドーデの作品の虚構が明らかになって来たためである。実は、アルザス地方で話されていた言葉はフランス語ではなく、もともとドイツ語の方言であるアルザス語であったという。つまりドーデの作品は「対ドイツ報復ナショナリズムのお先棒を担ぐイデオロギー的作品」だとされるようになったのである。<谷川稔『国民国家とナショナリズム』1999 世界史リブレット 山川出版社>
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ノートの参照
8章4節 カ.17世紀の危機と三十年戦争
第12章2節 カ.ドイツの統一
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ドーデー/南本史訳
『最後の授業』
ポプラポケット文庫