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李大釗

中国最初のマルクス主義者の一人とされ、中国共産党の創設に関わった。

 りたいしょう。日本に留学して早稲田大学に学んでいるとき、日本の二十一カ条の要求に憤激して反対運動を起こした。また河上肇らの著作からマルクス主義を知り、次第にそれに傾倒した。ロシア革命が起こると翌1918年11月に雑誌『新青年』に論文を発表し、ボリシェヴィキ革命の勝利を評価し、中国人民の決起を呼びかけた。それは啓蒙的な運動から、実践的な運動への転換を画することとなり、彼自身がその年、北京大学で学生たちと「マルクス学説研究会」をつくり、中国におけるマルクス主義運動の先駆となった。北京を拠点とした李大釗は、上海の陳独秀、長沙の毛沢東らと共産党設立の準備を進め、コミンテルンとの連携により1921年に中国共産党を創設した。その後、中国共産党の指導者の一人として国共合作を進めたが、1927年に奉天派の軍閥張作霖によって捕らえられ、殺害された。
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第15章3節 ア.第一次世界大戦と東アジア