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ワフド党

第一次世界大戦後にエジプト王国の完全独立を求める運動を起こした組織。ワフドとは代表の意味。1924年には政権を握るが、そのイギリスへの譲歩に対する不満が強まり、1952年のエジプト革命が起きる。

 エジプトムハンマド=アリー朝は形式的には存続していたが、19世紀末以来、イギリスの保護国とされ、実質的にはその支配を受けていた。「エジプト人のエジプト」を標榜するウラービー運動も抑えられていた。しかし、第一次世界大戦を機として、世界的な民族主義の高揚となり、民族自決を求める声が強くなる中、大戦後のエジプトにおいてもイギリスに対し保護国の解消、完全独立を求める民族主義運動が活発になった。エジプトでのサード=ザグルールを指導者とした民族運動はパリ講和会議に代表団を送って、エジプトの独立を訴えた。このグループは、「代表」の意味するワフドから、ワフド党といわれるようになった。

ワフド党政権

 イギリスは1922年、防衛権を保持した上で名目的な独立を認め、エジプト王国が成立した。1924年にワフド党が内閣を組織し、1936年にはエジプト=イギリス同盟条約を締結して、イギリスのスエズ運河地帯の軍隊駐留権などを認めた上で実質的な独立を獲得した。しかし、この譲歩に対して不満な民族主義運動がさらに強まっていった。
 第二次世界大戦後のエジプトにとって、1948年のパレスチナ戦争(第1次中東戦争)の敗北は、王政とワフド党政権に対する批判を強めることとなり、1952年にナセルなどの自由将校団のクーデターによって王制と共にワフド党政権は倒され、エジプト革命へと突入していくこととなる。
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ノートの参照
第15章3節 カ.トルコ革命とイスラーム諸国の動向