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コミンフォルム/共産党情報局

1947年、アメリカのマーシャル=プランに対抗してソ連が結成した、各国共産党の連携のための国際組織。

 1947年に、スターリン体制下のソ連邦ソ連共産党を中心に、ヨーロッパ8ヵ国の共産党が参加して、共産党情報局(Cominform)が結成された。英語表記では、Information Bureau of the Communist and Worker's Parties となる。従って、正しくは共産党・労働者党情報局となるが、一般に略称のコミンフォルムと表記している。結成の目的は、アメリカのマーシャル=プランによって東ヨーロッパ諸国が動揺することを防止し、統制を強めることによってソ連邦共産党の指導力維持をはかったもの。

コミンフォルムの参加国

 当初参加したのは、ソ連・ルーマニア・ブルガリア・ハンガリー・ポーランド・チェコスロヴァキア・ユーゴスラヴィアの東欧諸国の共産党(党名は国によって異なる)と、フランス共産党イタリア共産党の西側諸国の共産党を加えて9国の共産党であった。

ユーゴスラヴィアの除名

 コミンフォルムの事務局は最初、最も急進的であったユーゴスラヴィアの首都ベオグラードに置かれていた。ところが、結成の翌年の1948年にはティトーの率いるユーゴスラヴィア共産党は、民族主義的に偏向しているとソ連共産党から批判され、コミンフォルムから除名されてしまった。

コミンフォルムの解散

 ソ連のスターリン体制のもとで、コミンフォルムはソ連共産党の他国共産党への支配権を強める機関となっていった。
 しかし、1953年のスターリンの死去後、その力は弱まり、1956年2月にスターリン批判が行われた直後の4月に廃止された。
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ノートの参照
第16章1節 イ.ヨーロッパの東・西分断